ハンナン事件浅田満 その2

彼はチルドとよばれる輸入冷蔵肉を扱う事で他を圧倒する取引高を生み出しました。

 

通常冷蔵肉は冷凍と違って1か月半程度しか保存できないのですが冷凍肉に比べて新鮮なため、国産肉とも競争できる輸入肉なのです。

 

このチルドをめぐつて年4回、畜産振興事業団の一室で売り渡す相手がたった一団体という奇妙な入札が行なわれていました。

 

このチルドを必ず落札できるのが、全国の専門小売店のほぼ8割に当たる19000店余りが加入した全国食肉事業協同組合連合会(全肉連)で、浅田氏はこの団体の副会長も務めていました。

 

そしてチルドは、浅田氏が会長になったこともある大阪府食肉事業協同組合連合会を通じ、同氏が理事長だった羽曳野市食肉事業協同組合など大阪府肉連傘下の8団体に流れ、ハンナン系列などの個別業者に届く仕組みになっていました。

 

それまでチルドは、全肉連、全国同和など5団体への割り当てでしたが、「利権化している」と国会で問題にされた78年8月から、辞退した関西主婦連合会を除く4団体の入札制度に切ち替わりました。

 

ところが、同じ年の10月、畜産振興事業団は、「全国の小売店を通じて消費者に買ってもらう」という理由で入札を専門小売店中心の全肉連一本に切り替えてしまいました。

 

これは全肉連の副会長を兼任していた浅田氏がやはり自身が専務理事を務める全国同和系列の食肉業者の利権を守ったということでもあります。

 

オイルショックが起きる少し前、農水省は牛肉不足で急騰した価格を沈静化させようと輸入枠を大幅に拡大していました。

 

 

そこにオイルショックが襲い、不況のあおりで需要は急減、輸入港にはコンテナに詰まった牛肉があふれ、腐って緑色に変色するという、いわゆるグリーンビーフ事件が起こりました。

 

 

処分に困った牛肉を畜産振興事業団が背負わされそうになったとき、引き取り手として名乗りを上げたのが、浅田氏でした。

 

 

浅田氏はこのとき、同事業団に貸しをつくった格好になりました。

 

 

国は、オイルショックをはさんで、牛肉の国内生産量の維持と価格安定のため、輸入肉の取り扱いを、畜産振興事業団に一手に握らせるようになりました。

 

 

このとき、前述したような輸入牛肉売り渡しの仕組みがほぼできあがったとされています。

 

 

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ハンナン事件浅田満 その1