許永中と石橋産業 その10

 

田中弁護士から林社長に株の占有率が30%を超える部分である135万株についてロイヤル社とは違う別の受け皿会社をさがす必要があること、それが決まるまでの間、先に振り出したロイヤル社の2通の手形の一つ、72億4950万円の手形を、48億3300万円と24億1650万円の2通に分けるよう指示されました。

 

 

そして、そのうちの24億1650万円の手形については、「適当な受け皿会社が決まるまでの間、ワシが預かるようにするから、いずれにしてもその預かり証もワシが発行するから」と言ってきました。

 

さきに交わした新井組株とロイヤル社振り出しの額面総額約203億円交換の協定書は、書き換える必要があるとして、それも田中弁護士が預かるということになりました。

 

96年7月14日、ロイヤル社が新井組株985万株を所有したという大量保有届け出書が関東財務局に提出されました。

 

もちろん形式だけのことで、石橋産業側には新井組株は渡っていません。

 

その直後の7月下旬から雲行きがおかしくなってきました。

 

さきのとりあえず若築建設から借りて工面した60億円の返済期日が月末に迫ったことで、許永中が9月末まで2か月間の延期を申し出てきたのです。

 

さらに許永中は「田中先生がこれ持ってきてな、どうしても金が急にいるといわれとるんや。先生が金作らないかん相手言うたら宅見の頭のコトや」と言って、銀座の有名画廊がヨーロッパのオークションで落としたという、「40億円ぐらいはした」というポール・セザンヌの静物画を見せ、石橋産業が持っていた新井組株150万株との交換を持ちかけてきました。

 

 

当時、新井組株は1800円前後で総額おおよそ27億円でした。

 

 

この取引に応じることにしたものの、後日石橋産業側がこの絵画を鑑定したところ、時価2000万~3000万円程度のものだといわれました。

 

 

8月に入ると林社長は新井組株を取得する対価として振り出したロイヤル社の約束手形の書き換えを要求されました。

 

ちょうどその時期、京都信金で役員の使い込み事件や内紛劇があり、資金調達ができず銀行団に説明するのに困るというものでした。

 

林社長は振り出していた2通の手形の支払期日は白地にしていたところから、疑問をもちつつも応じる事にしました。

 

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