許永中と石橋産業 その11

若築建設から借りた80億円の返済期日である9月末近づいてきました。

 

それも当初7月末だったのを2か月延長していたのです。

 

「中間決算の時期が迫っているので、若築に返済しなければ大変なことになる」

 

と心配する石橋会長に、許永中は「心配いりまへん」と自信満々に返事をしていましたが、「京都信金の具合が良くないようや。もう少し待ってくれ」と言ってきました。

 

そして、どうしてもカネをつくれというなら、石橋産業保有の新井組株250万株を運用して30億円ぐらいつくれると言いました。

 

石橋産業側は、中間決算の時期が迫っていたためこれに応じることにしました。

 

田中森一護士が預かり証を出すことになり、それをもとにして許永中側に新井組株250万株を渡しました。

 

許永中のパチンコ会社である有恒クラブから、9月30日10億円、10月1日5億円、同月2日5億円の計20億円が送金されてきました。

 

この時点で石橋産業側に筆頭株主になるべき大量保有の新井組の株券は入っておらず、許永中が担保に差し入れていた別の新井組株券を取り戻され一株も残っていない状態となりました。

 

そして許永中の側近である葡萄亭ワンセラー尾崎取締役と井手野下氏が石橋産業にやってきて、同社の株券や財務内容などを根掘り葉掘り聞いた後、「林社長をはずす」話をしたといわれています。

 

驚いた林社長が許永中に問いただすと顔を真っ赤にして、「女のクサッタような言い方するナ。アンタはオレのやり方にあわせれば、それでいいんだ」といいました。

 

許永中側と石橋産業の窓口になってきたロイヤル社の林社長との間がギクシャクしはじめたのはこのころからです。

 

許被告の側近の一人である葡萄亭ワインセラー田中社長から、「20億送金したが、1億運転資金がショートしている。石橋さんに言って、1億、2週間だけ貸してもらえないか」と電話がありました。

 

林社長はこれに、「冗談じゃない、80億、9月末の時点で永中氏が石橋に必ず返済すると言っていたのに、それも株券を提供させて20億しか戻ってないのに、どうやって石橋に言えるのか」と激怒しましたが結局は1億円送金しました。

 

しかし2週間経っても返済はありません。

 

さらに数日後、許永中の事務所に呼ばれそこにいた石橋社長らの面前でも、「こ奴が、たかが1億ぐらいのことで、ワシんとこの若い者にすぐ返せと抜かしよるんですワ」などと言いました。

 

この日は衆院選挙の最終日で、石橋社長は許被告に言われ井手野下氏に連れられて、元首相の竹下登氏に会うため、ヒルトンホテルに出かけました。

 

この件もあって林社長は、許永中に対する不信感を募らせ、新井組の株式買い取りがダメになった場合、振り出したロイヤル社の約束手形の回収はできるのだろうかなどと、不安な思いがよぎりました。

 

それもキョート社社長に就任すれば、解決されるだろうと自分を納得させました。

 

石橋社長とその義兄の林社長は、5月にも許永中の計らいで、東京・向島の高級料亭で竹下元首相と会食。

 

当時の建設大臣である中尾栄一代議士と建設事務次官ら高級官僚十数人がいたこの席で、竹下元首相は「君たちの役どころは素晴らしい」と讃えたといわれています。

 

この竹下元首相に限らず、許永中が石橋産業側に用意した舞台と人物は、どれもこれも大がかりなものでした。

 

後の「陳述書」で林社長は、許永中が次から次へと持ち出してきた人物と豪華な舞台に自分を見失い、この時は人をだますテクニックだとは気づかなかった、と振り返えっています。

 

 

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