昔(バブル崩壊直後)の民族派(右翼)機関紙より その1 巨星逝く


嗚呼 巨星逝く

偉大なる功績

御霊の安からんことを

苦難乗り越え日韓両国のかけ橋に

故 柳川魏志先生

 

生涯を国事に挺身

偉大なる国士

故 佐々木四郎先生

 

これは旧極東民主同盟会議

後の大化会月刊ふじの機関紙です。

柳川魏志先生とは旧柳川組、柳川次郎組長です。

記事によると

亜細亜民族同盟名誉会長・柳川魏志先生が平成3年12月11日午前6時35分、胃ガンのため、大阪府八尾市の明和記念病院でご逝去なさいました。68歳でした。

思えば激動の時代を偉大なる指導者として、あらゆる苦難を乗り越え、ゆるぎない世界観と信念のもとに私事を顧みず奔走し、さらに日韓両国の友好と親善につくされた偉大なる巨星であります。

(中略)

その敬愛してやまない先生がいまや故人となられたことは、まさしく悲しみの極みであり、悼む言葉もありません。

ここに御霊の安からんことをご祈念申し上げ、謹んでご哀悼申し上げるものであります。

 

 

裏面のページには

「どこの街にもある天翔ビル

末野興産」

とコマーシャルが入っています。

 

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末野興産その7

もともとのつながりは、もっと早い時期でした。

 

 

以前の号にも書いたように、末野興産を設立する前、土建屋を営んでいたのですが住吉区の「田中土建」にトラックを持ち込んで下請けとして、仕事をしていました。

 

 

 

この、田中土建は「大阪府同和建設協会」(同建協)の大手で、社長が協会の会長を務めるなど業界の実力者でした。

 

 

大阪国税局の関係者が言うには・・

 

 

「相手がやくざと分かっているのに、わざわざ命を捨ててまで取り立てに行くものはいない。」

 

 

「大阪国税局のOBが末野興産の顧問税理士として、ニラミを効かしていた。」

 

 

ここでいうOBとは、元大阪国税局査察部次長で大阪南税務署署長を最後に退官した

 

 

「仲谷幸三氏」

 

 

末野興産事件に伴って、仲谷税理士事務所も家宅捜索を受けました。

 

 

 

私たち一般人が、電気・ガス・水道・家賃・ローン支払いなどが遅れると、数か月で清算されてしまい、場合によっては再起できないときもあります。

 

 

なぜ、末野興産が何年も渡って表に出ることなく引き延ばされたのか・・・

 

 

背景に、「暴力団」 「同和利権」「国税OB」

 

 

の三要素が着手できない「聖域」となってしまい、長期間摘発されることなく、時が過ぎてしまったようです。

 

<末野興産篇おわり>

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末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7

末野興産その6

このように、「見せ金」による会社設立という容疑で逮捕、これを4回繰り返し、その間に本丸に攻め込んだようで、次から次へとダミー会社による仮装譲渡が明るみにでてきました。

 

 

大阪地検特捜部は、ダミー会社に不動産を転売した「強制執行妨害容疑」で再逮捕。
住専の金は返さない他、数々の脱法行為も明るみになってきました。

 

 

その一つに、従業員の給与を全て明細書なしに支払い、源泉徴収をしなかったとして「所得税法違反」や「労働基準法違反」などの件で大阪府警、大阪国税局、大阪労働基準局が事情聴取をはじめました。

 

 

また、大阪市内に180棟あったとされるビルの多くが「建築基準法違反」で税金滞納、水道料金滞納という事も分かってきたのです。
区役所が困り果てていたのを担当部局の市財政局もそれを知っていたのに、法人市民税の課税対象外にして、長年放置されていました。

 

 

 

 

そして、水道料金だけではなくその他にもライフラインの滞納は、数千万円にも達していました。

 

 

「関西電力」・「大阪ガス」・「大阪市」を交えた三者協議もあったのですが、三者とも、滞納したからといってそのサービスを停止することができない深い闇の世界を突き付けられたのです。

 

 

では、なぜこんな無法がまかり通ってしまったのでしょう?
ここに一枚のレポートがあります。
当時、滞納しがちだったライフラインに対し供給停止を含めた話し合いの場での大阪ガス・関西電力・大阪市と、末野社長と副社長との手書きの面談記録です。

 

 

面談しながら書いたのか誤字が散見されるその記録には「灰皿を投げつけた」「対抗策で倒産さす」「色んな人が入居している」「停止するなら停止せよ、入居者は納得しない・・・」「この人たちは陳情に行くだろう・・先生や同和の人を連れていくぞ。これに対応するには大変だ。先生に対してそれ相応の人が対応するだろう」「結局開栓せざるを得ない」「俺も上田先生や同和関係を船頭(先導?)して各社に乗込む。場合によっては動員(同和)して玄関先でアジを行う」「1000人程度はすぐ動員できる」※原文まま

 

 

などと書かれていました。

 

 

ここでいう「先生」とは元衆議院議員の故「上田卓三」氏の事を指します。

 

 

ウィキペディア⇒上田卓三

 

 

 

 

この時点で既に滞納額は2千万円に達していましたが結局、水道をはじめ、ライフラインの停止は行われずそのまま滞納額が膨れ上がりながら時だけがが経過していくことになりました。
NHKの人気番組だった「その時歴史は動いた」風に表現すれば・・・

 

 

「バブル崩壊の6年前のことでした」

<つづく>

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