末野興産その5

 

続いて、大阪地検特捜部と大阪国税局は、貸し手である住専にも強制捜査に入りました。

 

 

 

 

住専とは、「日本住宅金融」「住総」「総合住金」「日本ハウジングローン」「地銀生保住宅ローン」の5社を指します。

 

 

その中でも「住総」は当時の山口組宅見組系樋口組が事務所として入居して4年も経過している大阪市中央区「高津メゾンエルム天翔」を担保に20億円を融資、他にも、当時の酒梅組谷口正雄組長が実質経営する「大新土木建設」所有の東心斎橋2丁目の土地を担保に12億円を融資していたことが問題視されました。

 

 

この土地は、ミナミの繁華街のど真ん中にあり末野興産が経営する「八幡筋モータープール」と一体になっていて、監視カメラ、投光器、弾除けの鉄板に囲まれた酒梅組本部事務所となっていました。

 

 

その他にも、内規では「風俗営業に融資はしない」と定められていたにもかかわらず、子会社の「ワールドエステート」が大阪市のラブホテルを取得するにあたって53億円を融資、ほぼ全額が焦げ付き、その他にも、パチンコ店の融資の付け替え、賃借権の仮登記を設定したりと競売にかけるのも難しく担保価値を奪われた恰好になっていました。

 

 

 

 

住専の一社、「日本ハウジングローン」は大和工商リース(現大和ハウスの子会社大和リース)の紹介で取引を始めました。

 

 

同社は大阪市淀川区の山口組系石原総業が入居している「新大阪天祥ハイツ」を担保に200億を融資。

 

 

その他にも処分が進まず、焦げ付いた物件を自社のペーパーカンパニーに買い取らせる形で不良債権の表面化を先送りしていました。

 

 

「地銀生保住宅ローン」は筆頭株主が「日本生命」で末野興産のグループ会社名義で約20億円の一括払いの生命保険に加入。

 

 

これは当時流行った財テク商品のひとつで末野興産幹部の親族が高い利息を受け取れる仕組みとなっていました。

 

 

 

大阪地検特捜部と大阪国税局の強制捜査の時点では「これは解明するまで、相当の時間がかかるだろう」と言われていましたが、事態は急展開することになります。

 

 

ちょうど、クリントン米大統領が来日していた時期で、NHKは特集番組を組んでいて、速報として「末野社長事情聴取で吹田区検」とテロップが流れ、中継映像も流れました。

 

 

 

その翌朝、「公正証書原本不実記載」「同行使」の疑いで逮捕されることになったのです。

 

 

直接の容疑は、「見せ金」で会社を登記した・・

 

 

という虚偽の法人登記で、資本金を信用金庫からの借入金をあてて、すぐに引き出した、というものでした。

 

「そんなことで・・」

 

と皆が思いましたが、大阪府警は末野社長がパスポートを作って受け取ったとの情報をキャッチし、「海外逃亡」の恐れがあったとの事でした。

<つづく>

スポンサーリンク

末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7

末野興産その4

その翌々日の2月25日、
衆院予算委員会で参考人質疑が行われ
ブラウン管の前に姿を見せた末野社長は

 

 

「グループ会社には一切売却していない」

 

 

と否定、木津信に関しては、記者会見での説明とは
違った内容になっていました。

 

木津信用組合との関係は同組合が破たんする直前も

大阪府吹田市津雲台の高級住宅街456平方メートル
の土地を

 

末野社長の長女が代表を務める
「南千里開発」が購入。

 

そのとき資金を貸し出し、2億円の根抵当権を設定。

 

そして、長男が役員を務めるパチンコ店経営の
「日新観光」に転売されたのですが、

その時、2億円の根抵当権が外されていました。

 

その時期は、ちょうど末野興産から預金の解約を
打診されていた頃、ということもあり

 

 

事実上の「情実融資ではないか」

と噂されていました。

 

 

その土地も、捜査のメスが入ると報道されるように
なった時期から、工事がストップし

 

 

コンクリートに大きく「資産かくし」

と落書きされるようになりました。

 

 

 

 

そもそもの話として、

事の始まりは、大蔵省(当時)が金融機関の

不動産向け融資を

 

「総量規制」

 

といって引き締めたところから始まりました。

 

それを受けて、富士住建、朝日住建の金利支払いがストップ。

 

続いて平成2年秋ごろには、末野興産も金利の支払いを
ストップ。

 

 

その前後に約1千億円の預金が消えて
なくなっていました。

 

後から判明したことですが、これらS資金は全て

 

 

「大阪観光開発」

 

 

「ワールドエステート」

 

 

「新町興産」

 

 

「天翔」

 

 

「四ツ橋ビルディング」

 

 

などの子会社に分散されていたとされています。

 

帳面上は、高い利息で借り入れている
事にしておいて全て赤字計上、

 

住専から借り入れたお金は返さず
子会社間を行ったり来たりしていたのです。

 

 

その木津信引き上げマネーは、結局その後
大阪厚生信用金庫、信用組合関西興銀、

その子会社である新韓銀行大阪支店
に預け替えをされていました。

 

 

そして、木津信抵当証券の詐欺事件に関連して
末野興産所有マンションの管理人室を本社に設立された
ダミー会社

 

 

「大正地所」

 

 

に捜査のメスが入り、ロールスロイス2台が発見された
と報じられたのもこの頃でした。

 

<つづく>

 

スポンサーリンク

 

末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7

末野興産その3

結局、九州中州の事件も、これ以上進展することなく尻すぼみとなりました。

ちょうどこの時期、バブル崩壊とともに政府は不動産融資に対する「総量規制」を発動していて、借入をしていた不動産会社は軒並不良債権化していました。

 

 

 

 

そんな中、福岡県警が中州の捜査の過程で、末野興産から末野社長あてに「仮払金」名目で138億円を支出していることが発覚。

 

 

 

大阪国税局に通報、調査に入ったところ使途不明金として計上されておりそのうち1億2千万円が社長個人の遊興費に使われていることが分かりました。

 

 

 

ただ、この遊興費以外は追徴課税されることなく、当時はまさか国税局ともズブズブの関係とは誰も知る由もなく、不可解な事とされていました。

 

 

その年の暮れ、映画「京阪神殺しの軍団」のモデルとされ、山口組全国制覇の急先鋒だった元柳川組、柳川魏志組長の葬儀・告別式があり、イトマン事件の許永中被告、大物組長や「大悲会」の野村秋介氏らに混り、末野社長からの生花が供えられていてマスコミの好餌となっていました。

 

 

しかし、その後は沈静化し、再び、世間を賑わすことになるのは6年後のこととなるのです。

 

 

平成8年に入って間もなく大阪市西区の末野興産本社ビルでちょうどそのころ、報道されていた疑念を晴らすため記者会見が行われました。

 

 

それは、週刊文春が、末野社長は、宅見組と杯を交わしダイヤの指輪、高級腕時計をしている・・・

 

 

という記事についての釈明会見でした。

 

スポンサーリンク

 

ここでいう「杯」とは単に酒を吞み交わすだけではなく、疑似の親子・兄弟、つまりやくざ者になる、ということを意味します。

 

 

「私は暴力団ではありません」

 

 

また、入国ビザの発行を拒否されている件も先ほどの福岡事件の一件があったからで、「もう一度出し直してください」といわれているだけ、住専の件は「先が読めなかった私の責任」と認め、順次処分していって買い手を探していく、と説明しました。

 

 

 

暴力団事務所が末野興産ビルに入居している件も、「うちは180棟のビルを持ち、8千以上の店子に300の仲介会社が入っている。ひとつひとつチェックはできない。家賃もきっちり払ってくれているが弁護士と相談して退去してもらうよう手続きする」

 

当時、なぜか共産党大阪市議団がそのリストを作成し、追求していましたが、そのリストには、独立系では松浦組一正会が第八天翔ビルに始まって、残りはすべて山口組系列の山健、豪友、宅見、中野会、堀組、尾崎格系列下部組織の入居リストが公表されました。

 

 

木津信破たんを導いた原因でもある預金の引き出しも、「人から預かったお金の運用で預金していたもので、返すために引き出しただけ」

 

 

「強制執行のがれはしていない、身内企業ではなく全く他人の会社に物件を抱いてもらっているだけ」しかし、この記者会見の大部分がウソとわかり後に逮捕されることになるのです。

 

 

<つづく>

 

スポンサーリンク

 

末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7