許永中その6

許永中氏が実質オーナーの「新日本建設」は以前「末野興産」の項でも書きました「同建協」加盟業者で、そのグループ会社の中には税務申告フリーパスの「大企連」加盟企業もありました。

 

許永中氏は在日韓国人ですが、親しかった解放同盟幹部の計らいで同建協に加盟、同和対策事業を受注して売上を増やしていきました。

 

 

大阪市議会などで「暴力団に資金が流れているのでは」と指摘された同建協は11社にものぼり、大阪府警も同和対策費が暴力団の資金源になっている、との認識をこのころ持ちはじめていました。

 

そんな中、バブル崩壊より遡ること数年前の昭和60年1月、大阪府吹田市江坂町のマンション「GSハイム第二江坂」で、四代目山口組「竹中正久」組長と三人の幹部が射殺される事件が起きました。

 

 

 

竹中組長は、このマンションに「小西邦彦」を名乗って愛人と入居、というのも、実際の借主名義が「小西邦彦」という解放同盟飛鳥支部長で、彼は同建協加盟の「野間工務店」取締役、そして山口組系金田組の幹部でもありました。

 

 

事件が起こった時の緊迫した警察無線の様子をご視聴下さい。

 

 

山口組竹中正久組長暗殺時の警察無線

許永中その5

その石橋産業の関係者は、許永中氏の計らいで東京向島の高級料亭に招かれました。
そこには首相経験者もいたという自民党の閣僚と事務次官十数人が会食している一席でした。

 
この運輸族といわれた大物代議士は目の前で許永中氏を「兄弟」と呼んでいたそうで、東邦生命の前社長「太田清藏」氏の政界人脈だったと言われています。

 
東邦生命はその子会社の「社友総代」に、竹下登、中尾栄元建設相、中山正暉元郵政相をはじめ、大野明、中川一郎各代議士の名前が並んでいたそうです。

 
そのような中、渡辺美智雄代議士の大阪後援会の会長を務めていた野村周史という人物がいて、許永中氏はこの野村氏とは昵懇の仲で、その関係から、日本名「藤田永中」を一時「野村栄中」と変えていたほどでした。

 
その他にも、久間章生元防衛庁長官は許永中氏関連会社の役員を務めていたり硫黄島の慰霊祭では、同代議士が手配した陸自ヘリコプターに同乗、同島で、横綱曙、貴乃花が土俵入りを奉納した時も同行していました。

 
このように、許永中氏は、政界、財界、スポーツ芸能界と人脈を広げていきました。
そのような状況の中、都内にある不動産会社の債務処理に協力する形で、許永中氏関連会社、友好団体などを入居させていました。

 
その内訳は、かつて第一勧業銀行麹町支店で36億円詐欺横領事件で逮捕された人物が代表を務める会社であったり、仕手筋として知られる中江滋樹元投資ジャーナル代表が事務所を構えたりときな臭さが漂っていました。

 
中江元代表はイトマン事件にも登場するコムソン株の仕手にも関わり、また、パチンコ業界にも進出させ、株価の高騰とあわせて相当の利益を得たとされています。

 
これまでに、多くのバブル紳士たちが、摘発された後、世間をはばかるように、ひっそりとしているのに対し、

許永中氏は身長180cm、体重100kgの巨漢・スキンヘッドというその風貌と相まって逆に益々パワーアップしていくかのようでした。

 
検索のサジェスト機能とは、検索バーに文字を入力しているときに、Googleが検索候補を予測して自動的に表示するものですが、現在でも「許永中」と打ち込もうとすると「許永中 現在」と表示されます。

 

 

如何に多くの人が関心を持っているかだと思います。

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許永中その4

 

「許永中」
1947年(昭和22年)大阪市生まれ。

 

 
26歳で建設会社を興し、最盛期はグループ会社30社とも
40社ともいわれました。

 

 

 

 

 

身長180センチ、体重100キロを越えた巨体、言動はその風貌に相応しく、押しの強さは一目置かれたとされ、それでいて慎重な振る舞いも忘れないといわれ自らの事柄を語ることはありませんでした。

 

 

 

1990年、元山口組系列の組長経験者で「コスモポリタン」社長の「池田保次」氏が「東京へ行く」と言い残して消息不明となりました。

 

 

 

この池田社長が新井組の持株会社「テクノエンジニアリング」株を買い占めたとき、許永中氏は持株会社からの依頼で池田社長に接触、株の回収を図ったのが許氏と池田氏の出会いのきっかけとされています。

 

 

 

コスモポリタンが一躍有名になったのは、日本ドリーム観光株の買い占めで、同社の子会社「雅叙園観光」の経営権
を手中にしたことでした。

 

 

 

その信用力を背景に、東海興業、新井組などのゼネコン株の買い占め、大株主として影響力を行使、マスコミ上を賑わせました。

 

 

 

ただ、一部上場会社の経営権を、バブル景気を背景にアウトローが派手にやりとりする様が、司法当局や大蔵省を刺激しました。
機会メーカー「タクマ」を買い占めたところ、タクマが防戦で実施した増資が認められ、池田社長は一敗地にまみれるところとなったのです。

 

 

 

その一年後、先程の失踪事件がおこり、許永中氏が事業を引き継ぐことになりました。

 

 

 

その後処理である雅叙園観光の債権者として「伊藤寿永光」が登場しました。

 

 
いうまでもなく、河村良彦イトマン社長と共に特別背任の容疑に問われた主役で、不動産投資のノウハウで助け舟を出すように食い込んでいった背景には、コスモポリタンの財テクで被ったツケを処理する目論見があったとされています。

 

 
話は戻りますが、先述の新井組テッポウ株事件で、関西を中心にした証券会社十数社が被害を受けたとされていてそのうち、小川証券が清算に追いやられました。

 

 
そんな中、京都信用金庫の系列ノンバンク「キョートファイナンス」で一人の役員による内部告発がきっかけで、とんでもない事実が明るみになりました。

 

 
不良債権の殆どが、暴力団関係者をはじめ協和総合開発(伊藤寿永光代表)八幡ギャラリー(イトマン)許永中関連企業が占めていたのです。

 

 
また、再建計画の中で京都銀行株の買い戻し条件に何故か新井組株も加えられていて、石橋産業がその株を取得するという契約が交わされました。

 

 

 

石橋産業は、以前に別の暴力団関係者から株の買い占めを受けその回収で許永中氏と関わりを持つようになったのです。

 

 

石橋産業は、総額85億円を貸し付けた形をとりましたが、結局手元には担保に取っていた2千万円程度の絵画が一枚残っただけとなり、告訴もしましたが、捜査も途中で打ち切られていったのです。

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