許永中と石橋産業 その16

この質問にたいして田中弁護士は「私が全部預かっている」と返事しました。

そして正式の譲渡契約書を作成し、届けると表明。

後日、新井組株985万株の記番号の入った合意書が作成されました。

しかし、筆頭株主になるべくの肝心の新井組株は手に入らず、言われるがままに振り出した石橋産業裏書きのロイヤル社の約203億円の約束手形の行方にも不安を抱いたままキョートファイナンス社の社長に就任した林社長は、

「この春から石橋は許永中に85億円も出しているが、担保に受け取った新井組株もほとんど残っていない」と、山段芳春氏に相談をしました。

これに山段氏は「その話は聞かんかったことにしとくわ。

このままでは許永中に、石橋さんもアンタも踏みつぶされてしまうで。

許永中には前から言ってあったんやが、保釈中やしパチンコ屋でもやっておとなしゅうするように言うてあるんや。

それに、今公判の弁護士を引き受けてもろうとる吉永透先生には、許永中は本当に面倒見てもろうとるはずや。

そんなことまたやっとると、吉永先生に判ったら、先生はえらい怒りはるで。今先生に見放されたら永中も終わりや」

さらに以前、許永中がキョート社の「金の卵」と言った滋賀県のゴルフ場センチュリー滋賀に移ると「このゴルフ場は良いゴルフ場やし、理事長は京信の井上達也理事長なんやが、こやつが今ワシの言うことを聞かんとアホなことばかり言うとんのや。

そやから石橋さんに買うてもらおうと思うとんのや。

安うに買うて再開発したらええがな。

これはキョートファイナンスに金出しとる銀行団も知っとる物件なんやが、石橋さんが買うのやったら文句は言わんやろうし」

と言いました。

 

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これに対し林社長が「許永中は自分のものだと言っていましたが」

と答えると、山段芳春氏は「そんなアホな!」

「新井組の株式はあいつにやったもんやから自由にさしとるだけや」と言って、許永中が新井組株を手に入れる経緯について説明しました。

それは京都銀行の株式が暴力団の手に入ったことを契機にして、京銀側で買い戻しにかかったところ、許永中が出現。

地元京都の暴力団会津小鉄会なども間に入り、最終的には敵側にいた許永中が山段氏側に寝返り、それで京銀株が戻ったということでした。

その際、京銀株に新井組株が付帯してきました。

キョート社が許永中に融資して、1120万株までになった・・というものでした。

山段氏は、「よっしや、石橋さんに言うといてーな、ワシが何とか守ったるから」

そのことがあって京都入りした石橋社長と林社長は、山段氏と会談。

ここで、山段氏は許永中から石橋産業を守る方法として、許永中のイトマン事件弁護団長だった吉永透弁護士から許永中に言わせることが一番いい方法だとアドバイス。

それにはキョート社の弁護士からそのことを吉永弁護士に伝えるやり方がよく、それをスムーズにすすめるには各弁護士に石橋産業の顧問に就任してもらい、その声かけを元大阪高検・検事長の富田正典弁護士にやってもらうことがベストなどと提案しました。

その上で、山段氏主宰の「三樹会」に入会し、石橋社長は常任顧問、林社長は常任理事になるようすすめました。

山段氏によると、その「三樹会」は、京都銀行の頭取をはじめ、京都財界のお歴々、警察本部長クラスのOB、検察庁OB、弁護士などが参加した一流の会で、石橋産業を守る富田弁護士はその最長老だということでした。

 

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許永中と石橋産業 その1

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許永中と石橋産業 その15

許永中と石橋産業 その15

林社長がキョート・ファイナンスの社長に就任すした96年10月下旬、林社長は帝国ホテル東京の許永中事務所に呼び出されました。

 

そこに許永中と田中弁護士がいました。

 

2人は林社長の前で

「ゼニ急がなアカンで。

サンロイヤル(兵庫県のゴルフ場)のこと含めて大ぶんつまってきとるしな」

「分かってまんがな。石橋さんの会社の財務調べたらほんまにゼニないようやし、さっぱりですワ」

 

資金繰りが詰まっていることを言い出しました。

 

 

田中弁護士が、「山段が今度はきっちり落とせるような段取りの手形の金額にして日付もはっきりさせてくれ言うとった」と話をしたのを受け、許永中が「理事長ですか、許永中です」と、京都の山段芳春氏に電話。

 

「こうなったらワシが金作って手形落とすようにしますワ」などと山段氏に釈明。

 

 

そうして、林社長に「聞いての通りや」と言って、またまた石橋産業裏書きのロイヤル社の手形の切り替えを要求しました。

 

林社長は言われるがままに、手形を3通、額面15億円を2枚、149億1750万円に書き換えたものに変更。

 

以前田中森一弁護士事務所で振り出したした2通の手形と交換しました。

 

その林社長がキョートファイナンスの社長に就任したのは、10月28日、京都グランドホテルで開かれた同社の臨時役員会でした。

 

出席者は、キョート社側は山段会長、湊社長、川辺専務、田中治巳専務、安川良子女史、ロイヤル社側は林社長ら3人。

 

その他、田中森一、吉永透(元京都地検検事正) など5人の弁護士、そして許被告の側近の一人、葡萄亭ワインセラー尾崎稔取締役も出席していました。

 

役員会の後、出席した弁護士の一人から当時のキョート社の唯一の資産だった新井組株の行方について質問が出ました。

 

つづく

 

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許永中と石橋産業 その1

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許永中と石橋産業 その8

そのための譲渡契約書が大阪市中央区の田中森一弁護士の事務所で作成されました。

 

この場には、許永中にキョートファイナンスの湊和一社長、同川辺莞二専務、後日詐欺事件で逮捕されることになる許永中の秘書役の一人、尾崎稔・葡萄亭ワインセラー取締役などが同席しました。

 

 

この譲渡契約書類は、田中弁護士が「預かる」ということになりましたが、その預かり証は出されませんでした。

 

 

新井組株1120万株買収資金として、石橋産業が裏書きした130億8450万円と72億4950万円の2通、計203億3400万円のロイヤル社振り出しの、支払期日は白地の約束手形が作成されました。

 

 

こうしてのちに許永中やこの時の田中森一弁護士が東京地検特捜部に逮捕されることになった石橋産業巨額手形詐欺事件がスタートしました。

 

 

まず60億円と引き換えに石橋産業株14万2650株と許被告が別に保有していたという新井組株225万株が60億円の担保として石橋産業側に渡されました。

 

 

石橋産業株を取り戻せたことで、すっかり許永中を信用するようになりました。

そこへ

「この金をワシの指示に従って軍資金として使って欲しいんですワ。例えば、先生方に金を持って行けという時には、ま、ワシは一回に最低2000万~3000万は用意するようにしてますので、その時はそうしてください」

 

と言って、スーツケースに入った現金10億円を出してきました。

 

許永中流の買収作戦だったのですが、ど肝を抜かれた石橋社長らは逆にいっそうのめり込むようになりました。

 

そして今度は林氏が社長に就任することになっていたキョートファイナンスの資産乗っ取り計画でした。

 

そのスキームを作った井手野下氏の説明を、大阪市北区神山町許永中のビルで聞く事になりました。

 

ここで井手野下氏は許永中と林社長に4枚のコピーを渡しそこに書かれたスキームを説明しました。

 

その説明では許永中はキョートファイナンス社から借金をしているため、800億円はあると常日ごろ口にしている同社の資産にはさわることはできないので、社会的に信用がある石橋産業グループをバックにしたロイヤル社の林社長がキョートファイナンス社の社長に就任。

 

その上で林社長がキョートファイナンス社に融資している各金融機関と交渉し、貸付先からの取り立てが難しいことを強調。

 

その際、マスコミにキョートファイナンス社の貸付債権の明細をリークして、内容の悪さをアピールすることや、スキームに反対する銀行が出ればそこには借り入れに相応する金額の貸付債権を引き取ってもらうことにし、それも会津小鉄会の高山会長関連の東亜企画の債権をぶつければ、その銀行は悲鳴をあげる、という方法をとることを井出野下氏が提案。

 

こうして、銀行団がキョートファイナンス社への融資総額約1500億円のうち2割、300億円の返済で、残り2200億円の債権を放棄させ同社を休眠状態に持ち込み、最後は破産に持ち込めば許永中の担保物件の大半は取り戻すことができるという計画でした。

スキームづくりをした井手野下氏は、かつてノンバンクの日本モーゲージの社長として同社にあった許永中の債権百数十億円を会社清算で整理した実績がありました。

 

 

説明を受けた許永中は、上機嫌で

「さすが、井手野下さんや。これをしっかりやり遂げてもろうたら、石橋さんも新井組のオーナーになれるし、ワシも自分の財産が天下晴れて戻って来ることになるので助かりますワ。全部終わったらこの資産で大阪オリンピックやらワシらの夢やった日本一の美術館作りを実現せなあきませんなー。そやそや、早いとこ林さんに新井組の筆頭株主になってもらうようにせなアカン。段取りや、段取りや!」

と言いました。

 

許永中にすっかり取り込まれた林社長は、許永中の指示でロイヤル社の大阪支店を許永中のビルである大阪市北区神山町の「第十一コスモビル」2階に開設。

 

さらに、東京都港区元赤坂の安藤元赤坂ビル6階に石橋社長と許永中が会うためのオフィスということで事務所を開設しました。

 

この2店舗の経費は月約1000万円以上ですべてロイヤル社の負担でした。

 

 

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