榊原グランドホテル、資金はイトマン事件の舞台になった信用組合

買収後、全面的改築を施してゴルフ客や企業と提携して榊原温泉郷のなかで五本の指に入るくらいまで成長しました。

 

 

83年には、今まで別のところで運営していた病院をホテルの横に移設して、医療法人・榊原みのり会病院や、老人保健施設「榊原ケアセンター」を併設しました。

 

 

しかし、兄弟間の財産争い、経営権争いが絶えず、そのうち内紛が高じて、とうとう事業そのものがバブル期に破綻してしまいました。

 

 

この時期ホテル経営は三男で専務取締役の欣功氏が握っていましたが、87年ごろからホテルとは別に、ゴルフ場やレジャーランド、会員制スポーツクラブなど新規事業に乗り出しました。

 

 

資金は、「大阪府民信用組合」が出すことになりました。

 

この大阪府民信用組合はのちにイトマン事件の舞台の一つになつたところのひとつです。

 

 

そして総額250億円の融資計画といわれたゴルフ場は95年オープン予定ですすめられました。

 

 

しかし91年イトマン事件がおこり、「大阪府民信用組合」の融資は理事長が特別背任容疑で逮捕されてしまい、開発は頓挫してしまったのです。

 

 

つづく

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榊原グランドホテル創業者は「がめつい奴」のモデル

この暴力団会長が舎弟頭をしていた山口組系組長が同年9月初め、同ホテルを12月12、13の2日間、全館貸切りで借りることを予約し、組員も事前準備で泊り込んでいました。

 

 

ところが、これを警察が察知したことから前日の11日になって、急遽キャンセルの申し出があったのです。

 

 

このことで、歌手の出演予約をしていたホテルは、キャンセル料400万円の支払いを所属する芸能プロダクション側から請求され、ホテル側も損害を請求するつもりで、大阪市北区のホテルで暴力団会長との交渉にのぞんだのでした。

 

 

 

社長を軟禁、小切手と手形をとって解放

 

同じ暮れの30日、「榊原グランドホテル」をめぐってはもう一つ、暴力団がらみの事件がおこっていました。

 

 

その事件がおこったのは、上本町にある都ホテルで、当時同ホテル15階の部屋には、「榊原グランドホテル」の南勲社長が宿泊していました。

 

 

30日未明、同部屋に山口組系暴力団幹部を名乗る男ら数人が入り込み、就寝中の両社長に

 

 

グランドホテルの経営権を譲れ」

 

「支払ってもらうカネがある」

 

などと迫って午前7時ごろまで軟禁。

 

 

その後も引き続き同ホテル内で恐喝を繰り返し、結局南社長は額面計2500万円の小切手と約束手形を渡して解放されたという事件です。

 

 

年の暮れの同じ日に社長と従業員がそれぞれ暴力団がらみのトラブルに巻き込まれた「榊原グランドホテル」は、劇作家・菊田一夫の作品「がめつい奴」 のモデルになった大阪市西成区の大田ハル氏が1969年、現在地にあった小さな観光ホテルを買収し創業したものでした。

 

 

つづく

 

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