3月暴力団関連ニュースを見て

今月は大きな事件はありませんでした。

どちらかというと、ヒットマンに対する判決のニュースが多かったです。

その中でも嬉しいニュースとしては
朝日新聞にありましたが

工藤会の元組員がかつて反対運動で襲撃した商店街で
皆に認められうどん屋を開業した記事。

このような記事を見ると本当にうれしいですね。

やはり、やくざからカタギになるのは並み大抵の事ではありません。

その苦労は如何ばかりか・・

姫路にも元竹中の若い衆していた人が
NPO立ち上げてそのようなお手伝いしているようですが
本当に大変な事やと思います。

もう一つビックリした記事は新聞各社が報じていましたが
尼崎市がヤクザの家を買い取るという話。

これは不動産に携わるものであればビックリと思います。

尼崎といえば古川組の事務所が競売に出されたときがあって
素人は絶対手ださんやろし、私も入札したろかな・・

思ったことがあったけど、したらしたで
絶対警察からの調査が入るやろし
面倒な事になりそうやな~と見ていたら
案の定、入札した者も逮捕されとった。

そんなこともあったな~なんて懐かしい思い出に浸っております。

解説動画には古川組の競売資料も少し写っています。
ぜひ興味のある方はご覧ください

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許永中のブレーン 岡本醇蔵 その4

前回からの続きです

「イトマンのこと、それから三豊恒産のことがなかったら、これでだいたい仕事終わろうと思うとった。(中略)今、日本の上場会社って暖簾がなくなってると思うんや。


いわゆる古い伝統が消えて、バブルの崩壊後はアメリカ式っていうか、会社もひとつの商品になって、カネ儲けの組織そのものやがな。


そやから、ここでちょっと頑張って、上場してる会社が何もうらやましいわけやないけど、いっぺ ん上場会社を持ちたいな思うてる。
それを待った時点で、そこに関わる人が幸せになる仕事を二つほどやりたい。


ワシの場合、衣食住の衣は興味ないから、食と住のほうのな。


ワシにいままでついて来たり、大事にしてくれた人で、この業界でもっと貢献せないかんし、もっと頑張れると思っとる人にその会社に座ってもろうてな。


そのため執行猶予のこの4年問は、はいずり回ろ思うとる。事件起こさずに。
そんなこっちゃ。ワシ、人好きやから」


「昔と違うて、今はともかく経済力のある人がえろうなっとる。
資本主義経済やから、しゃあないわ。


浪花節いっとれん。まあ、ワシもほんまいろんな親分とつきおうてきたけど、いろんな人がおるし、ヤクザとしてやなく、男として好きやなあ思った人もぎょうさんおる。


波谷守之さんもそう。

一緒にマージャンやってて、ジャンケンすることになって、ワシが『あんた、でけへんがな』(指詰めのため、パー出してもチョキになってしまう)いうたら、側近がワシの息の根止めるくらいの勢いで顔色変えて飛んで来たが、この人は『岡本は別格いうとるやろが』 いうて。
そんな器量の人もおる。
 


ヤクザ、ヤクザっていうけど、早ういうたら、汚名着る割に身につけるもんはほんま少ない。


政財界を問わず、ほんまきれいごとでカネ儲けた奴がいちばん悪いことしてるし、身についとる。


ヤクザいう組織ほど一般世間から嫌われて、いちばん得るものの少ないものはない、思うわな」


「そやから、すばらしい大学出て、そこ出るぐらいだから職求める時から、そんなことできる(甘い汁を吸える)立場になるんだということで行ってんやから、最初から。


逆に言うたら、ヤクザも変わらんと。


そういう悪徳官僚のような東のええヤクザが今後増えていくと思うわ。
そんな頭のええヤクザは皆、地下に潜ってしまいよる。


今のようないわゆるオープンにされたヤクザ、ワシから言うたらたいしたことないヤクザに代わって、そういう悪知恵働く奴が出てくる。これは難儀や」


「ヤクザはその世界におるんやから、それはそれで認めてな。ヤクザはヤクザとして扱うたらいいんや。


『俺は堅気やぞ。堅気の俺に何するんや』と。


そう、はっきり言うてあげへんから、対等につき合えないんや。
ある意味では、『堅気の分野にも入って来たらええがな』みたいな素振りして。


そない言うてるから、仕切りができてないから、ヤクザに食い込まれたんとちゃうのんか。


『これ一緒にやりましょな』と、遠慮して言うとるから、ヤクザのほうが我が強いからぎょうさん食われるだけや。


仕切りちゃんとできとったら、『お前、ヤクザやから、仕事は俺がするから口出すな。ただ、他のヤクザ来たら、俺の仕事邪魔しよるから、俺の見えんとこでそれちゃんと話しといてくれよ。それがお前の立場やで』と。


『ただ俺の注文で動いたら堅気に使われるヤクザになっちまうやろ。それぐらい、ちょっとかしこなって、言われんでも、ここヤクザ狙うとるなと思ったら、警察にマークされないでうまくやってな』と。


ワシの場合、それをはっきり言うから対等につき合えるわけや。
 


企業舎弟いうたら、そもそもは倒産した社長が金融業者に交渉に行って、そこで『この仕事まだできるんやったら、もっとやっていきな』と。


ところが、『後にまだ借金残っとるから、仕事できませんねん』
『そな、ワシがそっち裁いとるから安心して仕事しいな』と。
『それで儲けたら、うちに返しや』と。

それで戻し済んでも、まだ奉公するようなことするから。


それが企業舎弟の始まりや。ヤクザに采配された堅気、意味でもあるし、堅気でヤクザをカネで使うという意味でもある。


ヤクザと一緒に(仕事)するんなら、ヤクザになればええがな。
そんなん、ヤクザに対しても堅気に対しても失礼な話や。


主体性のない話や。ワシらの周りにも企業舎弟おるけど、また、それを自負してる者がおるから不思議や思うわ」

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許永中事件その6 大阪国税局と解放同盟との密約

しかしこの新日本建設の役員は、他のマンションでも許可を取っていた仕事人であることが発覚し自治会長を解任されてしまいました。

そしてこのマンション計画は市民の運動が実り計画はストップしました。

新日本建設は大阪市内ではリクルート事件で知られるリクルートコスモス社の下請けとして地上げを担当したり、大阪府堺市では高層マンション建設の共同開発者になったりもしていました。

新日本建設はなぜ大事業者のマンション建設の許可取り業者になることができたのでしょうか。

それは、許永中会社代表とそのグループがイトマンを手中におさめるまでにのし上がってきた謎を解く鍵でもあり、新日本建設をはじめ許永中グループの中心企業が、暴力と桐喝で行政を屈伏させ、やりたい放題やってきたのは部落解放同盟に直結した大阪府部落解放企業連合会(大企連)や大阪府同和建設協会(同建協)加盟業者というのがありました。

解放同盟系の団体がどれだけの力をもっているか・・

例えば、新日本建設が加盟していた同建協は大阪の場合、部落解放同盟大阪府連の指導と協力のもと、解放運動への自主財源獲得の基盤として重大な役割の一端を果たす・・

という設立趣意書とともに1970年4月設立、部落内同盟員で構成される土木建設業者団体でした。

これには大阪府下だけでも400社以上が加盟しており、同和対策事業を独占、一般の公共事業である大阪府発注の土木建築事業の2割を受注するなど、大手ゼネコンの談合組織に匹敵するほどの力をもっていました。

 

そのメンバーの一つ新日本建設は、89年の1年間だけで公共事業を31億4千万円も受注。

 

イトマン疑惑の表面化で、許永中とグループ企業は、相次いで税務署に億単位の修正申告をしましたが、その額は許永中会社代表の12億円を含め、93億円にものぼりました。

事実上の脱税である巨額の申告漏れが、なぜ見逃されてきたのでしょうか。

 

それは解放同盟系業者は、税務申告はノーチェックで、事実上フリーパスという大阪国税局と解放同盟との密約が1968年1月に当時の高木文雄大阪国税局長と部落解放同盟中央本部、大阪府部落解放企業連合会=大企連との間に結ばれていたためでした。

 

これらを窓口として提出される白、青色を問わず自主申告については全面的にこれを認めるなどの七項目の確認事項があったのです。

もともと、許永中会社代表は、凶暴さで知られる大阪市内の解放同盟支部長付をしていたともいわれていて、その解放同盟といえば行政はもちろん、大手企業、マスコミも「差別者」のレッテルをはられ、糾弾されることを恐れて屈服、追従していました。

 

許永中グループの中核企業「新日本建設」には「部落解放同盟兵庫県連委員長だった故小西弥一郎が役員に入っていたこともありました。

 

河内長野市で東亜大学分校誘致問題を担当した市幹部の肩書は「同和対策室長」。

 

自治体をも食いモノにしてきた許永中グループの暗躍は解放同盟というタブーにつつまれた現代日本の特権団体が背景にあってこそ可能だったのです。

 

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1968年1月30日、部落解放同盟中央本部・部落解放大阪府企業連合会(企業連)と大阪国税局との間で、つぎのような7項目にわたる確認書が交わされていました。

 

大阪国税局と解放同盟との密約

  • 国税局としては同和対策特別措置法の立法化に努める。
  • 同和対策控除の必要性を認め、租税特別措置法の法制化に努める。その間の処置として、局長権限による内部通達によってそれにあてる。
  • 企業連が指導し企業連を窓口として提出された白、青色をとわず自主申告については全面的にこれを認める。ただし内容調査の必要のある場合には企業連を通じ企業連と協力して調査にあたる。
  • 同和事業については課税対象としない。
  • 国税局に同和対策室を設置する。出来るまでの措置として担当は総務部長、窓口は総務課長とする。
  • 国税部内全職員に対し、同和問題研修を行う。この際講師については、同対室及び解放同盟と相談して行う。
  • 協議団(70年国税不服従審判所に発展的に解消)本部長の決定でも局長権限で変更することもできる。

この大阪方式は翌69年1月23日の解放同盟近畿ブロックと大阪国税局長との確認で、他の府県にも適用することとなり、「執行の際には中央本部と相談する」「助成金についても継続審議する」とされました。

 

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許永中事件その1 河内長野市韓国東亜大学誘致

許永中事件その2 山口組系古川組と豊国信用組合  

許永中事件その3 関西コミュニティと土地ブローカー

許永中事件その4 伊藤寿永光元イトマン常務と協和総合開発

許永中事件その5 新日本建設と新日本育成会