許永中と石橋産業 その15

林社長がキョート・ファイナンスの社長に就任すした96年10月下旬、林社長は帝国ホテル東京の許永中事務所に呼び出されました。

 

そこに許永中と田中弁護士がいました。

 

2人は林社長の前で

「ゼニ急がなアカンで。

サンロイヤル(兵庫県のゴルフ場)のこと含めて大ぶんつまってきとるしな」

「分かってまんがな。石橋さんの会社の財務調べたらほんまにゼニないようやし、さっぱりですワ」

 

資金繰りが詰まっていることを言い出しました。

 

 

田中弁護士が、「山段が今度はきっちり落とせるような段取りの手形の金額にして日付もはっきりさせてくれ言うとった」と話をしたのを受け、許永中が「理事長ですか、許永中です」と、京都の山段芳春氏に電話。

 

「こうなったらワシが金作って手形落とすようにしますワ」などと山段氏に釈明。

 

 

そうして、林社長に「聞いての通りや」と言って、またまた石橋産業裏書きのロイヤル社の手形の切り替えを要求しました。

 

林社長は言われるがままに、手形を3通、額面15億円を2枚、149億1750万円に書き換えたものに変更。

 

以前田中森一弁護士事務所で振り出したした2通の手形と交換しました。

 

その林社長がキョートファイナンスの社長に就任したのは、10月28日、京都グランドホテルで開かれた同社の臨時役員会でした。

 

出席者は、キョート社側は山段会長、湊社長、川辺専務、田中治巳専務、安川良子女史、ロイヤル社側は林社長ら3人。

 

その他、田中森一、吉永透(元京都地検検事正) など5人の弁護士、そして許被告の側近の一人、葡萄亭ワインセラー尾崎稔取締役も出席していました。

 

役員会の後、出席した弁護士の一人から当時のキョート社の唯一の資産だった新井組株の行方について質問が出ました。

 

つづく

 

スポンサーリンク

 

許永中と石橋産業 その1

許永中と石橋産業 その2

許永中と石橋産業 その3

許永中と石橋産業 その4

許永中と石橋産業 その5

許永中と石橋産業 その6

許永中と石橋産業 その7

許永中と石橋産業 その8

許永中と石橋産業 その9

許永中と石橋産業 その10

許永中と石橋産業 その11

許永中と石橋産業 その12

許永中と石橋産業 その13

許永中と石橋産業 その14

許永中と石橋産業 その14

 

「伊豆下田に佐藤工業が開発許可を取った14万坪の土地がある。佐藤工業には70億ぐらいで話をつけてある。

 

住銀は、川崎定徳には頭が上がらないし、川崎定徳は宅見のプレッシャーがある。

 

この物件を若築さんに買ってもらいたい。住銀には、150億の融資を申し込んである。

 

すでに、日本橋の支店長・国重氏には話が通っている。

 

若築の債務保証が必要である」

 

 

「出口の話として、土地は創価学会が買う。

 

亀井静香と小沢一郎がやがて手打ちする。

 

仲介者は竹下登をおいて他にない。

 

その際、亀井静香より話をつけてもらう。

 

創価学会は墓地を必要としているし、その地は最高の土地であるから施設・本堂・会館・墓地・美術館などの建築費約400億、及び許の持っている絵画を含めて1000億円で買ってもらうようになる。」

 

 

結論として創価学会の買い付け証明がないと無理ということになりました。

 

 

許永中が持ち込んできた話で

「福岡の田口工業会長から良い話があった。

 

大阪の東亜というバブルではじけたデベロッパーが所有しているマンションがある。

 

場所は福岡の天神。

 

一等地で当時は70億くらいかかっているが16億~17億くらいで買える」

 

 

目的は、「大阪アメリカンクラブの福岡版をつくりたい。

 

福岡は石橋さんの地元で、アメリカンクラブの会長でもある。

 

地元のVIPをはじめとする社交クラブの場所としてはうってつけ」

 

というものでした。

 

 

 

その費用は「内装工事は約20億くらいかかるだろうが、アメリカンクラブの会員権が約120億くらい集まるので、それで払うから問題ない」といいました。

 

 

しかし、「大阪アメリカンクラブ」の会員権の集金状況が不明だったため石橋社長が拒否すると、許永中は住友銀行から融資を受けることをすすめ、総額50億円を申し込ませた。

 

これに対して、住友は「担保価値は10億程度」と返事。

 

 

結局、銀行に対して石橋産業の信用を失うだけの話で終わりました。

 

 

林社長は、次から次へと許永中から持ち込まれる話の結末について

 

「いずれの話も『金のことは心配いらん』と言っておきながら、債務保証が必要だったり、立替え工事だったり、あるいは最初から保証金を入れさせたりするにあたり、入口の話があるだけで出口のまったく定かでない話 (つまり、買い手がいないとか、会員権をどうやって売るのか入金ベースが不透明)ばかりで、しかも、『ワシの名前は出せないから、石橋さんの名前で出しておいてくれ』とか、後日そのことで暴力団風の人間が石橋産業を訪ねて来たりひどい内容の結果に終わるものばかりでした。」

 

と後年当時のことを述懐しています。

 

スポンサーリンク

 

許永中と石橋産業 その1

許永中と石橋産業 その2

許永中と石橋産業 その3

許永中と石橋産業 その4

許永中と石橋産業 その5

許永中と石橋産業 その6

許永中と石橋産業 その7

許永中と石橋産業 その8

許永中と石橋産業 その9

許永中と石橋産業 その10

許永中と石橋産業 その11

許永中と石橋産業 その12

許永中と石橋産業 その13

許永中と石橋産業 その13

 

それだけ許永中と亀井代議士の仲は深かったということですが、二人の関係が明るみに出たのは、90年5月のことでした。

 

イトマン事件の被告の一人で当時許永中のパートナーでもあった伊藤寿永光元イトマン常務が社長だったリゾート開発会社「ワールド・インペリアル・ウイング」が亀井代議士の地元、広島県庄原市でゴルフ場開発を手がけたことがありました。

 

この時、亀井代議士は、許永中、伊藤元イトマン常務と同行して住民を前にしてこのリゾート開発をぶち上げました。

 

許永中の出資していた同社の会長は、元警視総監の川合寿人氏でした。

 

許永中がイトマン株を大量に買い占めていたこの年の秋、亀井代議士は秘書名義で20万株のイトマン株を購入していました。

 

翌91年夏、イトマン事件が摘発され大阪地検特捜部が東京・平河町にあった許永中グループ企業「富国産業」名義の7、8億円はするといわれた高級マンションを家宅捜索、この部屋は一時期亀井代議士が許永中から提供されて事務所として使っていたところでした。

 

許永中グループの元顧問税理士、剣持昭司・元熊本国税局長はイトマン事件の公判で88年10月から91年5月まで亀井代議士の紹介で許永中の顧問税理士になったと証言しています。

 

のちに保釈中に逃亡した許永中が収監され、さらに田中弁護士も逮捕されたことから亀井代議士が事件に関与していたかどうかをめぐり永田町は大騒ぎになりました。

 

いずれにせよ、設立された「大阪アメリカンクラブ」の役員に就いたのは、許永中の関係者が主で、監査役の弁護士も多くがイトマン事件弁護団メンバーでした。

 

その中の一人が収監後再開されたイトマン事件公判で許永中の新弁護人に就任、その直後警視庁に許永中の逃亡を助けたとして犯人隠避罪で逮捕・起訴された大阪弁護士会の兼松浩一弁護士でした。

 

大阪アメリカンクラブは結局、工事費未払いで途中で挫折。

 

「大阪オリンピック」の話が出た頃、許永中は林社長を大阪市北区天神橋六丁目の交差点のところにある土地に案内しました。

 

土地の広さは約2000坪。

 

ここに、さきに許永中が道場の近くにつくったパチンコ店・有恒クラブにならって、新しくパチンコ店をオープンさせる計画を披露しました。

 

「用地買収額は50億~60億円で、20億円で立体駐車場もつくれる。完成したら利息も含めて引き取らせてもらう」

 

などと言って若築建設に出資を持ちかけました。

 

96年10月ころ、京都府船井郡園部町にサーキットをつくる話もでました。

 

田中弁護士が

「京都の園部町に開発許可寸前の物件がある。『神林隆夫』という人物がいて、彼がすべて5年かけてやってきた物件だ。設計・管理は鈴木亜久里がやっている」

それで、そのF1レーサーの鈴木亜久里、田中弁護士、林社長でゴルフに出かけ、サーキットの立地や条件の良さを説明されました。

この話には山段氏も加わり、「園部町長の兄弟が(当時自民党総務会長だった)野中広務だ。話はかたいし、場所も最高だ。成功間違いなしだ」

許被告も「サーキットだけでなく、航空ショーもからめれば成功間違いなしだ」

若築建設の担当者が現地調査に赴き、「神林隆夫」という人物に説明を受けました。

 

それによると、「完成保証は若築がする。山段が仕切って、農協と明治生命から融資を受けるようにしてあるが、完成までの間60億の融資に対する債務保証が必要。工事代金は40億かかるが、それは自動的に若築に入る」という条件だった。

 

明治生命と会談した結果、事業母体が弱小で明治生命に積極性が感じられなかったことから債務保証はできないということになりました。

 

井手野下氏の話で「自分が、住友信託銀行にいたころの知人に五十鈴建設の専務がいる。五十鈴建設のために一人で苦労している。現オーナーは病床に臥せており、一族は会社のために何の役にもたっていない。若築と業務提携できないか。そうすれば五十鈴は立ち直れるし、新井組との合併でもうまく行った時には、大いに役に立つはずだ。そのためには 『みどり銀行(旧兵庫銀行)』 の株式を格安で売り渡せる」

若築建設が支援に入ったことを示すため、五十鈴建設が仕入れた土地を若築建設が建築するという条件で買いました。

しかし、五十鈴建設は翌97年3月倒産。

 

96年7月ごろ、許永中から大阪の不動産業者・三優実業開発の福川拓一社長を紹介されました。

福川社長は、当時山口組ナンバー2の宅見組の企業舎弟でのちに許被告の逃走を助けたとして犯人蔵匿罪で警視庁に逮捕された人物でした。

 

スポンサーリンク

 

許永中と石橋産業 その1

許永中と石橋産業 その2

許永中と石橋産業 その3

許永中と石橋産業 その4

許永中と石橋産業 その5

許永中と石橋産業 その6

許永中と石橋産業 その7

許永中と石橋産業 その8

許永中と石橋産業 その9

許永中と石橋産業 その10

許永中と石橋産業 その11

許永中と石橋産業 その12