バブル期のノンバンク

バブルのムードが変わったのは当時の大蔵省が不動産融資の総量規制の実施を発表した直後くらいからでした。

それまで住専をはじめノンバンク各社も「やりまくれ」と号令をかけていたのが、「貸出しせずに回収一本」と激変しました。

しかし回収がままならず、大口資金を融資していた不動産ブローカーほど回収できないのです。

それもそのはず・・彼らは根っから返済する気がないのです。

それから、次第に地価が下がり始めたのにつれ、業者は完全に開き直ってしまいました。

「そんなに回収したければ、担保処分しろ。そのために担保を取ったんだろうが」

その時、担保処分していればまだよかったのですが、ずるずると引っ張ってしまい、不動産市況はますます悪化して、処分すらできなくなってきました。

なんといっでも、担保評価が無茶苦茶でした。

通常の掛け目は60%というところ80%などはまだましで、バブルの頂点に向かうにつれて、担保評価はさらに上がっていきました。

そもそも書面審査しかやっていなかったから、担保評価も実査なしでした。

実査とは、実際に担保に提供された不動産を調査することですが、まったくそれがなかったのです。

そして、そこが河川敷であろうが、山奥であろうが、評価しました。

中には120%なんて突拍子もない評価などもありました。

それには、ノンバンク独自のやり方があって、担保評価とは別に調査価格というのを算出し、それ基づいて融資していました。

融資するためには、担保評価よりも高い調査価格を設定すればいい仕組みになっていたのです。

よく担当者が不動産鑑定士に「このくらいで・・」とお願いしていました。

鑑定士も魚心あればなんとやら・・で言われた金額の鑑定書を作っていたのです。

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青い目から見た日本の不良債権問題 その2

東京都港区赤坂の飲食店街にある商業ビルを賃借人や利用状況の調査のため二人の男性が訪れ外に出ようとしたところ、ビルを占有していた暴力団員風の男たちに取り囲まれ、暴行を加えられました。


二人の日本人調査員を雇用していたのは、丸の内にオフィスを構える米系リスクマネジメント会社でした。

日本の金融機関が外資系の投資機関に不良債権を数百億、数千億円単位で一括売却するバルクセ ールが数年前から急増、同社はこうした不良債権の担保不動産物件についての調査を請け負うケースが多くなってきていました。

同社の代表者が言うには、日本特有の不動産ビジネスに根を張った「占有」や「競売妨害」などヤミ社会の住人たちの存在は、外資にとってすでに「投資リスク要因」の一つとして認知されているとのことでした。

外資と日本の銀行との間で債権の売買契約書を作成する際には、保証条項の微妙な文言をめぐって丁々発止の駆け引きが行われました。

外資側は担保不動産に暴力団は関係していない・・という保証条項を入れるよう要求するのですが、これに対して売り手の銀行側はその言葉の前に

「当方の知る限り」といった文言を追加する・・などでした。

そんな状況の中、債権の回収や管理業務を行う「サーピサー」が誕生しました。

日本では債権回収業務は弁護士の専門分野でしたが、平成11年2月にサーピサー法が施行され、民間企業にも回収の代行ができるようになりました。

そして整理回収機構を含め、さまざまな金融機関系のサービサーが認可されました。

ノンバンクなど債権回収業務のノウハウを蓄積した業者が、虎視眈々と不良債権ビジネスに新たな活路を見いだそうとし、「かつて銀行の花形は融資部門だったが、今は回収部門だ」と言われたのもこの時期です。

不動産ビジネスに侵食しては食い尽くそうとするヤミ社会と、それを許したまま不良債権処理に右往左往する金融機関。

負の遺産を解き放つために、後に「失われた十年」と呼ばれるほど膨大な月日を要しました。

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青い目から見た日本の不良債権問題 その1

『日本の暴力団は不良債権を買う米国投資家に狙いをつけた』

 

フィナンシャル・タイムズはこんな見出しで日本の不良債権問題を報じました。

 

その一例として、外資系銀行の支社長宅近くで起きた不審火があり、この支社長は不審火騒ぎの直後に交代しましたが、これをきっかけに日本法人代表の自宅公表を控えるところが多くなりました。

 

「数千億の金ならすぐに用意できる。できるだけ多くの債権を買いたいので、まとめて用意してほしい」

 

外資系の不動産買い付け担当者が、日本の大手都市銀行を中心に訪ね歩く姿が目立つようになったのは、平成9年3月ごろからだったといわれ、銀行やノンバンクの不良債権問題が脚光を浴び、不良債権の圧縮が待ったなしの課題となるなか、先を競うように米国の投資銀行系などの投資家が銀行を回りました。

 

1990年代初めに不良債権問題が深刻化した米国でも、こうした投資集団は「ハゲタカファンド」といって不良債権を買い漁っていました。

 

彼らの狙いは不良債権を低価格で買い取り、転売や債権回収で利益を得ることで、2割ほどの利ざやを見込むため、時には簿価のわずか数%で購入。

 

日本の金融機関側の担当者が、提示された額を見てあまりの買いたたきぶりに絶句したといいます。

 

一時は大手ヘッジファンドの巨額損失などを背景に本国からの買い指令がトーンダウンしていましたが、当時、地方銀行や信用金庫の不良債権処理が注目されはじめ、外資の投資意欲は引き続き高い水準で推移していました。

 

東京池袋の自社ビルに本社を置く不動産会社のオーナー社長は、昭和60年から数回に分けて、ビルなどを担保に大手信託銀行から計約21億円を借り入れました。

 

バブル後は資金繰りに行き詰まり、12億円ほどが返済できずに残っていました。

 

銀行と話し合い、平成10年5月から月200万円ずつ返済していくことで合意しましたが、ある日、銀行側から急に「債権を外資系投資ファンドに売却する」と言われたのです。

 

「裏切られた。200万円ずつの返済計画が決まったとき、銀行側は競売にかけたり、債権を売ったりはしない・・と約束していた。債権処理を相当あせっているようだった」

 

しかし、外資は月200万円でも十分採算が取れ、利益になるくらいの値段で買い叩いていたのです。

 

ある債権回収業者は「暴力団が担保不動産に賃借権を設定したり、不法に占有して実力で回収業務を妨害したりするのは日本独自の裏ビジネス。外資には示談金や和解金を払って解決する観念がないので、戸惑うのは無理もないだろう」

 

米国に本拠を置く大手不動産仲介会社の日本法人社長は「日米の情報開示に対する考え方の相違が、すれ違いの一要因でもある」と指摘し、「日本の場合は金融機関、特にノンバンクが誰にいくら貸しているのか必ずしも明確ではない。担保物件によっては、登記簿などに現れない部分があるのも否定できない」と語りました。

 

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