許永中と石橋産業 その5

なぜそのような事をいったのかというと当時許永中自身が抱えていたキョートファイナンスの巨額の債務をチャラにしてしまおうと思っていたからです。

 

許永中は

 

「林さんに社長になってもろうたときに、一番大切な仕事は、キョートファイナンスの借金の圧縮ですわ。

いまキョート・ファイナンスは各銀行から1600億ぐらいの借金をしとんのやが、大口借り手がワシと会津小鉄と同和の上杉でっしゃろ。

そんなんでよう返せと言えんのが現状ですワ。そこで、林さんが社長になって登場する後ろには石橋さんがついていてくれる。

銀行団もまず納得するし、これで貸金もいくらか返済されると多少は安心するやろうけど、そこで林さんが登場してやナ、新井の処分も含めて許永中・会津の小鉄・同和の上杉に堂々と渡りおうて交渉した結果、これだけの金しか作れんというて銀行と交渉しまんのや。

ま、今の時代のこっちゃし、借金だらけのノンバンクなんて銀行のただのお荷物やさかい、銀行としては早いとこ処分してもらいたい筈やし、多少でも金が入ってきた方がええに決まってますわ。

ワシの考えやが、多分1~2割の金で話つくはずですわ。キョートファイナンスつぶしても誰も文句は言わんはずやし、金の卵のゴルフ場とワシの持っとる絵画数百点だけが手つかずで残りますのや。

それらが、林さんが社長就任してからの大切な仕事なんですワ」

 

ゴルフ場はキョートファイナンスの関連ゴルフ場、センチュリー滋賀のことで許永中はゴルフ場を増設し、会員も増やせば

 

「工事費や経費を差し引いて100億は残る。

ワシはそれの60%、残り40%のうち10%を井手野下さん、30%は林さんの取り分や」

 

と儲け話をし、「すごい話ですネ」と感心する林社長に

「キョートファイナンスは、ほんま宝の山でっせ。

ワシは自分が仕事を頼んだ人にはタグ働きをさせるようなことはようさせませんのや」

 

ロイヤル社の林社長はキョートファイナンスの代表取締役社長に就任し、ロイヤル社もキョートファイナンス第2位の大株主となりました。

 

林社長を窓口にして、石橋産業の取り込みに入った許永中はさらに大相撲をつかって更なる仕事にとりかかりました。

 

それは大阪市北区中崎の許永中の自宅と空手道場を訪問した林社長をして

 

「許永中がいた場所は、道場と称するところで、500坪ぐらいある敷地で入口の門はまるで城門のような造りですし、館の所までは豪華な松の木が植えられていました。

屋敷の中は豪華な檜造りの家で、大広間は30人以上がゆっくり会食できる広さがあり、目を見張る造りでした。

2階には10人ぐらいが入れるサウナ室と温水プールがあり驚きました」

 

と言わしめた場所でバブル期リクルートコスモスなどと組み、コリアタウンをつくるなどと言って、大規模な地上げをしたところでした。

 

そこには日本相撲協会境川尚理事長、日大相撲部監督で日本オリンピック委員会委員の田中英寿氏や関取など3人がいました。

 

その前で、「横綱を認定する熊本の吉田司家はワシのもんになっている」

という許永中は、国際オリンピック委員会副会長の金雲竜氏と昵懇の間柄で、自分も今度韓国のオリンピック委員に就任することになっている…などと述べて、2008年大阪オリンピック誘致計画に言及。

 

同オリンピックの目玉として、大阪に国技館と博物館をつくる構想を明らかにしました。

 

翌日、その国技館建設の場所として案内されたのが、JR大阪駅に隣接した国鉄清算事業団所有地でした。

 

7万坪以上はあるかと思われる広大な場所を指して、許永中は国技館のほかにアシアナ航空や全日空のホテル建設、三越デパートの進出話などを並べたてて、「ごっつい話でっしゃろ」と言いました。

 

今思うと現在のグランフロント大阪を指していて、大阪オリンピックも結局は実現しなかった訳ですから荒唐無稽な話ではあるのですが、当時は皆「大阪ドリーム」と思い込んでいました。

 

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許永中と石橋産業 その1

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許永中と石橋産業 その3

許永中と石橋産業 その4