フィクサー業転じる暴力団

山口組四代目竹中正久組長はトップの座につく前

昭和54年分約9000万円
昭和55年分2億1000万円
昭和56年分約5000万円

を税務申告せず脱税容疑で起訴されましたが、その公判の中でこのように証言していました。

「昭和37年姫路駅の近くに事務所を構えてからは、もっぱら賭博を資金源とした。

主にサイ本引きで、一晩に250~300万円のあがりがあった。

当時、竹中個人のまかないには月5万円もあれば足り、年間にすれば、3500~4000万円め収入で、支出が月10~20万円だった。

昭和46年、山口組本家の若頭補佐になった頃から、もめごと等の仲介話を持ちこまれるようになった。その謝礼で十分まかなえ、危険な賭博からはしだいに遠のいていった」

竹中組長へのこれら謝礼がどの程度のものだったのかは分からないですが、基本的には手数料的に考えられ、もめごとのタネの金額が大きければ大きいほど謝礼も膨みます。

ヤクザのトップクラスに限られる収入源ではなく、口きき料の類まで含めると中堅の暴力団員も民事問題への介入を収入源としていました。

親分集の昔話として

「わしの若い時分、ヤクザいうたらカネがなくて当たり前、せいぜいの夢が風呂つきのアパートに入ることやった。

車はタクシー上がりの何十万キロ走ったか分からんやつ、ピカピカに磨いて、それでも得意になって乗ったもんですわ。

それが今はちょつと目はしのきくものなら家を持ってる。

車だって外車ですよ。

また世間もヤクザがカネ持って当たり前と思うてます。

そういう目で我々を見ますさかい、ヤクザとしても見栄を張るようになります。

バクチするか、女さわるか、こんなもんしか昔のヤクザは食っていく通がなかったですよ。それを警察はバクチから締め出したでしょう、今は非現行でも逮捕する。ヤクザだって食わなければならない。

だから今は、とどのつまりが堅気と密着して債権取り立てとかね。

若いもんが抵当だ、担保だといってる。

我々若い時分、そんな言葉知らなかったですよ。

ま、そういうのがカネになるから、頭のないヤクザだって自然におぼえます」

という証言がありますが、経済ヤクザの走り・・裏ビジネスでお金を儲けて外車を乗り回すカッコイイやくざ・・といわれていたのがボンノこと菅谷正雄氏(昭和56年没)とされていますから、相当昔の話ではないかと思われます。

表社会でも事業など仕事をしていると、どうしてもヤクザに対する需要が出てきます。

そのひとつが法的解決より、暴力団に依頼した方が解決が早い・・というのがあります。、

例えば取引先が倒産した場合、売掛金などの債権を持つ者に対する支払いは、法的整理によるなら支払いまでに3年以上かかるものが多く、10年以上の年月を要する場合も珍しくありません。

しかもその配当は債権のたかだか10%程度。

債権者にとっては数年先に10%を返しでもらうより、債権のわずか5%でも即刻返してもらう方が得と考えてしまいます。

倒産整理は民事介入暴力の総結集編とでもいうべきもので、高度な専門知識や技術とその所有者たちのチームでなり、金融業者と結び、周辺に経理士、弁護士、公認会計士、司法書士、あるいは不動産ブローカー、バッタ屋等を配して、それらの緊密な連係プレーのもとに瀕死の企業を貪り食う・・

批判がある一方、一部にその迅速な処理に、黙認、あるいは歓迎する雰囲気があることも確かでした。

暴力団は暴力的威嚇力を背景に、一定の社会的ニーズに応じて負のサービスを提供しているとされました。

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