ヤクザと無線

自己紹介の続きになりますが

私が現役の頃は無線傍受なども

やっていました。

「無線とヤクザ」といえば英組でしたが

彼らはどちらかというとトラックの違法CB無線

をまとめていました。

私たちは無線機を使って実際に

傍受して情報を仕入れる、という事を

していましたが

周波数はさまざまでした。

警察無線や当時は自動車電話も

アナログなので聴けていました。

警察無線は常に電源入れっぱなしにしていましたが

竹中組長の時は本当に驚いたのを今でも覚えています。

また、当時は他の組織が

住之江競艇の中継を無線で発信していたので

受信させてもらって活用していました。

アマチュア機を使っていたので

仮にその発信している人が

免許を持っていたとしても

「競艇の中継」というのはアマチュア業務とは

なりませんので違法となります。

今思えば、大阪のアマチュア無線家の中には

もしかしてその競艇の中継などは

聴いていた人がいたかも知れません。

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許永中その6 竹中正久組長暗殺時の警察無線

許永中氏が実質オーナーの「新日本建設」は以前「末野興産」の項でも書きました「同建協」加盟業者で、そのグループ会社の中には税務申告フリーパスの「大企連」加盟企業もありました。

 

許永中氏は在日韓国人ですが、親しかった解放同盟幹部の計らいで同建協に加盟、同和対策事業を受注して売上を増やしていきました。

 

 

大阪市議会などで「暴力団に資金が流れているのでは」と指摘された同建協は11社にものぼり、大阪府警も同和対策費が暴力団の資金源になっている、との認識をこのころ持ちはじめていました。

 

そんな中、バブル崩壊より遡ること数年前の昭和60年1月、大阪府吹田市江坂町のマンション「GSハイム第二江坂」で、四代目山口組「竹中正久」組長と三人の幹部が射殺される事件が起きました。

 

 

 

竹中組長は、このマンションに「小西邦彦」を名乗って愛人と入居、というのも、実際の借主名義が「小西邦彦」という解放同盟飛鳥支部長で、彼は同建協加盟の「野間工務店」取締役、そして山口組系金田組の幹部でもありました。

 

 

事件が起こった時の緊迫した警察無線の様子をご視聴下さい。

 

 

山口組竹中正久組長暗殺時の警察無線