バブルのムードが変わったのは当時の大蔵省が不動産融資の総量規制の実施を発表した直後くらいからでした。
それまで住専をはじめノンバンク各社も「やりまくれ」と号令をかけていたのが、「貸出しせずに回収一本」と激変しました。
しかし回収がままならず、大口資金を融資していた不動産ブローカーほど回収できないのです。
それもそのはず・・彼らは根っから返済する気がないのです。
それから、次第に地価が下がり始めたのにつれ、業者は完全に開き直ってしまいました。
「そんなに回収したければ、担保処分しろ。そのために担保を取ったんだろうが」
その時、担保処分していればまだよかったのですが、ずるずると引っ張ってしまい、不動産市況はますます悪化して、処分すらできなくなってきました。
なんといっでも、担保評価が無茶苦茶でした。
通常の掛け目は60%というところ80%などはまだましで、バブルの頂点に向かうにつれて、担保評価はさらに上がっていきました。
そもそも書面審査しかやっていなかったから、担保評価も実査なしでした。
実査とは、実際に担保に提供された不動産を調査することですが、まったくそれがなかったのです。
そして、そこが河川敷であろうが、山奥であろうが、評価しました。
中には120%なんて突拍子もない評価などもありました。
それには、ノンバンク独自のやり方があって、担保評価とは別に調査価格というのを算出し、それ基づいて融資していました。
融資するためには、担保評価よりも高い調査価格を設定すればいい仕組みになっていたのです。
よく担当者が不動産鑑定士に「このくらいで・・」とお願いしていました。
鑑定士も魚心あればなんとやら・・で言われた金額の鑑定書を作っていたのです。