榊原グランドホテル経営権をめぐって混沌の戦い

しかし、計画は大幅に遅れてオープンに漕ぎ付いたのは94年になってからでした。

またその隣に予定していた会員制高級スポーツクラブも資金が足りずに中止となりました。

 

これらは専務、元韓国人ダンサー、榊原グランドホテルの支配人が実質運営していましたが

大田専務が、韓国へ多額のお金を送金したとして外為法違反で逮捕されてしまったのです。

 

 

この原資には、大阪府民信用組合からの借り入れ金が充てられていましたが、不動産購入資金名目で約4億円が、三重県の第三銀行から韓国へ送金されていました。

この結果、榊原グランドホテルの経営はは急速に傾いていったのですが、大田専務が元韓国人ダンサーヘの入れ込んでいることや土地を勝手に担保に入れたとして、大田ハル社長は専務を三重県警に告訴したのです。

 

 

結局は不渡りを出してしまい「大阪府民信用組合」 が、「榊原グランドホテル」 の競売を申し立てました。

 

このため代表取締役社長は欣功氏から南勲氏に交代しました。

 

ところがその翌日、ハル氏側の五男・義治氏が、大阪地裁に同ホテルの破産を申し立ててしまったのです。

 

債権者集会が開かれ、「榊原グランドホテル」は債務処理だけを行う会社とし、「榊原グレース観光」というホテル業務を継続する新会社の設立を宣言しました。

 

「榊原グレース観光」は、筆頭株主である大阪市内の「叶」という不動産会社が事実上経営していて、榊原グランドホテルの財産差し押さえ回避を図るためとされていました。

この段階でホテルの経営権をめぐって、現社長派と前社長派、創業者のハル元社長派も加わって混沌の戦いとなっていました。

 

そこへ前回の記事にも書きました山口組の事始め式キャンセル問題、南社長の軟禁事件が起こったのでした。

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榊原グランドホテル、資金はイトマン事件の舞台になった信用組合

買収後、全面的改築を施してゴルフ客や企業と提携して榊原温泉郷のなかで五本の指に入るくらいまで成長しました。

 

 

83年には、今まで別のところで運営していた病院をホテルの横に移設して、医療法人・榊原みのり会病院や、老人保健施設「榊原ケアセンター」を併設しました。

 

 

しかし、兄弟間の財産争い、経営権争いが絶えず、そのうち内紛が高じて、とうとう事業そのものがバブル期に破綻してしまいました。

 

 

この時期ホテル経営は三男で専務取締役の欣功氏が握っていましたが、87年ごろからホテルとは別に、ゴルフ場やレジャーランド、会員制スポーツクラブなど新規事業に乗り出しました。

 

 

資金は、「大阪府民信用組合」が出すことになりました。

 

この大阪府民信用組合はのちにイトマン事件の舞台の一つになつたところのひとつです。

 

 

そして総額250億円の融資計画といわれたゴルフ場は95年オープン予定ですすめられました。

 

 

しかし91年イトマン事件がおこり、「大阪府民信用組合」の融資は理事長が特別背任容疑で逮捕されてしまい、開発は頓挫してしまったのです。

 

 

つづく

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