許永中と石橋産業 その4

当時、新井組の筆頭株主は伊藤寿永光(いとうすえみつ)元イトマン常務の会社である協和総合開発研究所でしたが実質的には許永中が所有していました。

 

その保有株1120万株は京都のノンバンクであるキョート・ファイナンスにグループ企業への融資約470億円の担保として差し入れられていたのです。

 

突然の新井組株の買い取り話に、「石橋にはそんな金はありません」と即座に返答した林社長に、「世間のやつらワシのことを殺し屋やいうとるらしいけどほんま迷惑な話や。コスモポリタンの池田保次社長も行方不明になっとんのやが、それもワシが途中でジャマになったから消したというウワサになっとるらしいのや!」

 

と許永中は暗に脅しにかけました。

 

さらに1400円の株をどうやって3000円で買うのかと疑問をぶつける林社長に許永中は

「受け皿になってもらう時はワシの金で3000円以上の値にしときますがな。ちょっと提灯に火がついたらすぐでんがな。ま、そのへんのことはワシらの仕事でっさかいまかしておくんなはれ」と言いました。

 

株価操作で新井組株の値を上げてみせるから大丈夫・・という説明に結局乗ることになりました。

 

これが97年、業界で新井組と若築建設の合併話が飛び交うもとになり、一時期2500円台まで高騰後すぐに600円台まで暴落するといった新井組株の乱高下の原因となりました。

 

石橋産業側が新井組株の買い取りを了承したところから、許被告は「ま、見とっておくんなはれ。石橋さんをピカピカにしてみせまっせ! 財界でも大物に必ずしますからな」

 

石橋産業の石橋浩社長が、許永中と初めて会ったのは96年2月中旬頃、東京銀座の中華料理店で許永中は同社長に「アナタとは今後フレンドリーな関係で仕事に取り組みたい」と申し出ました。

 

以前の記事で書きました自殺した川西市在住の不動産会社社長井手野下氏の名前が許永中の口から出てきたのはちょうどこのころでした。

 

許永中は井手野下氏のことをロイヤル社の林社長に紹介。

 

「林さん、実はワシには取っておきの切り札がありまんのや。若築のメインバンクは住友信託でっしゃろ。そこのOBで井手野下秀守という人物がおります。

ワシが逮捕されてからは政治家や大企業のトップ連中もみんな我が身の保身ばっかりで寄り付きもせなんだけど、この井手野下いう人は大したサムライですわ。

週に一度はワシの女の店に来て励ましてくれたりして自分の地位など考えずに力づけてくれたもんです。

この人は住信から現在全日空ビルディングに出向中の立場なんやが、一度石橋さんと林さんと3人だけで会うてもらえんやろか。

とにかくワシが一番信頼している人やしワシのゴールデンカードであることは間違いない人や」

 

井手野下氏と会食することになり会談はいい雰囲気で終わりました。

 

会談が成功したことを確認した許永中は井手野下氏をいったん石橋グループの若築建設の役員にさせ、そこから50%の株を保有したあかつきには新井組社長として出向させることを提案しました。

 

しかし当時、井手野下氏を全日空ビルディング専務として出向させていた住友信託銀行側が難色を示したためこの案は見送りとなりました。

 

これは新井組をダシにして側近の井手野下氏を石橋産業に送り込み、あわよくば乗っ取りを図ろうとしていたことが見え見えの提案でした。

 

次に許永中は「アンタがキョートファイナンスの社長になってくれたら、ワシの匂いが消える」

 

と持ち出してきたのは林社長が京都のノンバンク・キョートファイナンスの社長に就任させることだったのです。

 

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許永中と石橋産業 その1

許永中と石橋産業 その2

許永中と石橋産業 その3

許永中と石橋産業 その3

住吉会幹事長は、株券の預かり証を見せた田中弁護士は山口組の宅見若頭の弁護士で、弁護士バッジはつけていても山口組と同等と見ていました。

 

のちに、田中弁護士を連れてきた広島の暴力団・共政会関係者の身内は預けた石橋産業関連株などが他に流出したとして、同弁護士の懲戒請求をして結局3か月間の業務停止処分を受けることになりました。

 

そして住吉会理事長に「株券を実際に持っている人物」と紹介されたのが許永中被告でした。

 

年が明けて96年1月初旬、東京銀座の住吉会理事長の事務所で、許被告に会った林社長は

 

「実際に株券を持っている人間が来るというので待機していると姿をあらわしたのが許永中でした。

昨年春ごろだったと思いますが、銀座のクラブで名刺交換していましたし、イトマン事件でその中心人物だったとも知りませんでした。

名刺の名前は『野村栄中』と書かれてあったのですから。

その場に姿を現した許はものすごい形相をして入って来ました。

しばらく黙って私の顔を見ていましたが、『森さんてアンタのことかいな』と言うので、私も『株券を持っているというのはアナタですか』と言うと、急に顔を真っ赤にして大笑いしながら『ちょっと待ってえな、なんやアンタかいな』と何度も繰り返しながら、また大笑いしていました。

そして、しばらく間を置いて、『よっしや判った。それなら話は別や。明日か明後日連絡するさかい、ワシの事務所でゆっくり話そうか』と言いました」

 

と出会った当時を証言しています。

 

 

許永中は石橋産業にかかわるようになった経緯について

 

「内紛の相手方である異母兄弟の克規から、浩さんと林という男と二人で結託して石橋産業を好き勝手しとる。自分が真の後継者やと聞いとった。

それなら、なんとか助けたらなアカンと思うて、東京にいる山口組の後藤組を先頭にいつでも石橋産業を攻める体制を組んどった。

田中弁護士を連れてきた共政会関係者に 回収交渉にあたらせている。

克規氏がだましとられたという石橋産業株10万株とワシが持っとる14万2650株と合わせて、24万2650株を克規に持たせて、石橋産業に乗り込ませるつもりやった。

その上で石橋浩さんに社長をやめてもろうて、それに側についとる悪の林というのんを始末しょうかという話になっとった」

 

それが、顔見知りだったことが分かり穏便なやり取りなったのですが、かえってこれが許被告らの仕組んだ巨額手形詐欺事件に発展していくことになりました。

 

石橋産業側の窓口役になったロイヤル社の林社長が、連絡を受けて帝国ホテル東京のオフィスタワー10階の高級絨毯と豪華な大理石が敷き詰められ、韓国の大家が描いた大作の水墨画や有名画家の絵画がかかっていた許永中の事務所を訪ねることになりました。

 

そして許永中は流出した石橋産業株の買い戻しの条件を兵庫県西宮市の中堅ゼネコン・新井組の株のことを持ち出しこう切り出したのです。

 

「ワシの持っとる新井の株を1株3000円で買うてもらいたいんや。新井の株が1200万株あるので、ザッと360億ぐらいや。

今の値段が1400円ぐらいやから、間が150億ぐらいになるやろ。もちろんこれは一時的に預かってもらうだけで、3年間から4年の間、石橋さんに受け皿になってもらうだけの話や。

金の方は京信か京銀に話をつけて流し込むようにしますワ。この条件を飲んでくれるのや石橋産業の株をお返しすることができるのやが・・」

 

 

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許永中と石橋産業 その1

許永中と石橋産業 その2

許永中と石橋産業 その2

ロイヤル社の林社長によれば石橋産業では74年、先代の石橋建蔵氏が他界したことをきっかけにして、異母兄弟の確執が表面化しました。

 

石橋産業グループの一つで上場企業だった中堅ゼネコン若築建設の専務の座を追われた異母兄弟の石橋克規氏とグループ代表の石橋浩氏とは激しく対立しました。

 

95年10月頃「あんたとこの義兄弟の石橋さんのことなんじゃが、石橋さんの兄弟に克規さんておるじゃろうが?実はどうもこの人がヤクザにだまされて石橋産業の株を沈められてしもうたようだが、ついては石橋さんに会わせてもらえんじゃろうか~」

 

という電話が広島訛りのある男から入り、

 

「実は、克規の生活の面倒を見ていて、株券を回収してやった人がいる。このまま放置しておけば、石橋産業の株式もまたどこへ沈んでしまうかもわからんでしょうが~」

 

などと言ってきました。

 

翌11月中旬、石橋産業の石橋浩社長とロイヤル社の林社長の二人は、都内のホテルで電話をかけてきた男に会いました。

 

この男は、東京の暴力団・住吉会系の総会屋で、もう一人の男は、広島の暴力団・共政会関係者の身内でした。

 

二人が出かけた会談場所のホテルのロビーには、一目で暴力団組員とわかる男が十数人、周りの席に座っていました。

 

そこで、克規氏の面倒を見ているという男は同氏の生活費と株券回収費用として6000万円を要求。

 

しかし、株の買い戻しの件はあいまいにしたまま株を預けている人を石橋産業に連れていくという話になり、そこに現われたのが田中森一という弁護士でした。

 

田中弁護士は71年検事に任官し大阪・東京両地検の特捜部検事を務め、撚糸工連事件など大型経済事件の捜査に携わり、特捜のエースと呼ばれた人物でした。

 

88年退官した後は大阪で弁護士を開業。

 

 

検察捜査の手の内を熟知した弁護士としてその方面では知られていて、国際航業株事件の小谷光浩氏、射殺された山口組ナンバーツーの宅見勝若頭、そして末野興産の末野謙一氏などの顧問先となっていました。

 

石橋産業にあらわれたころには許被告と彼は盟友関係にあり、この席で石橋社長が「いくらで売ってもらえるか」と問い詰めたところ、田中弁護士はおもむろに株の預かり証を取り出し「この様に株券の方は私が責任を持って預かっている。帰ってこちらの方も検討する」と言いました。

 

裏に暴力団が関与していると察知した石橋産業側はロイヤル社の林社長の紹介で暴力団・住吉会理事長に相談、石橋産業側にたって住吉会の人間が交渉に立ち会うことになりました。

 

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許永中と石橋産業 その1