榊原グランドホテル創業者は「がめつい奴」のモデル

この暴力団会長が舎弟頭をしていた山口組系組長が同年9月初め、同ホテルを12月12、13の2日間、全館貸切りで借りることを予約し、組員も事前準備で泊り込んでいました。

 

 

ところが、これを警察が察知したことから前日の11日になって、急遽キャンセルの申し出があったのです。

 

 

このことで、歌手の出演予約をしていたホテルは、キャンセル料400万円の支払いを所属する芸能プロダクション側から請求され、ホテル側も損害を請求するつもりで、大阪市北区のホテルで暴力団会長との交渉にのぞんだのでした。

 

 

 

社長を軟禁、小切手と手形をとって解放

 

同じ暮れの30日、「榊原グランドホテル」をめぐってはもう一つ、暴力団がらみの事件がおこっていました。

 

 

その事件がおこったのは、上本町にある都ホテルで、当時同ホテル15階の部屋には、「榊原グランドホテル」の南勲社長が宿泊していました。

 

 

30日未明、同部屋に山口組系暴力団幹部を名乗る男ら数人が入り込み、就寝中の両社長に

 

 

グランドホテルの経営権を譲れ」

 

「支払ってもらうカネがある」

 

などと迫って午前7時ごろまで軟禁。

 

 

その後も引き続き同ホテル内で恐喝を繰り返し、結局南社長は額面計2500万円の小切手と約束手形を渡して解放されたという事件です。

 

 

年の暮れの同じ日に社長と従業員がそれぞれ暴力団がらみのトラブルに巻き込まれた「榊原グランドホテル」は、劇作家・菊田一夫の作品「がめつい奴」 のモデルになった大阪市西成区の大田ハル氏が1969年、現在地にあった小さな観光ホテルを買収し創業したものでした。

 

 

つづく

 

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榊原グランドホテル 暴力団に乗っ取られる

古来日本三大名泉の一つとされてきた三重県久居市(現在は津市と合併)の榊原温泉郷は、大阪市内近鉄上本町駅から特急で一時間余り、榊原温泉口駅を下りて山間の道を車で縫うように走って約十分のところにあります。

 

 

なかでも、名門ホテルとして知られていた「榊原グランドホテル」が負債約200億円をかかえて倒産に追い込まれたのは、94年春のことでした。

 

 

「山口組」事始め式キャンセルで脅迫

 

 

 

その倒産から遡ること数カ月前の93年暮れも押し迫った12月30日、ホテルはあるトラブルに巻き込まれていました。

 

 

あるトラブルとは、日本最大の広域暴力団「山口組」が直系組長参加のもと、翌年の全体の方針を決める儀式である「事始式」を同ホテルで開く予定になっていたのがキャンセルされ、料金支払いをめぐつてホテルのマネージャーが山口租系二次団体会長に脅かされたという事件です。

 

 

舞台になったのは、大阪市北区茶屋町にある大阪東急ホテル2階のティーラウンジで、時間は午後7時ごろ。

 

テーブルをはさんでひそやかに語り合う客、待ち合わせなのか入口に人が姿をあらわすたびに首をのばす客、フロントで宿泊の手続きをする客と、一帯にもの静かな雰囲気を突然切り裂く声が響きました。

 

 

「このあほんだら、こんな奴連れて来やがって。おまえ、そこらへんの田舎極道と一緒にしたらえらい目にあうぞ。わしは山口組でも直参扱いされとんや、わかっとんかい。お前んところのホテルの前の池に沈めたろうか」

 

驚いた客が声のする方をいっせいに振り返ると、怯えた表情の二人の男を前にして、一人の男がいまにも掴みかからんばかりに声を荒らげていました。

 

 

これは「榊原グランドホテル」 のマネージャーが事始めに出演予定だった歌手が所属していた芸能プロダクション関係者とともに、暴力団会長にキャンセル料の支払いを申し入れた席上のことでした。

 

つづく

 

 

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許永中その6 竹中正久組長暗殺時の警察無線

許永中氏が実質オーナーの「新日本建設」は以前「末野興産」の項でも書きました「同建協」加盟業者で、そのグループ会社の中には税務申告フリーパスの「大企連」加盟企業もありました。

 

許永中氏は在日韓国人ですが、親しかった解放同盟幹部の計らいで同建協に加盟、同和対策事業を受注して売上を増やしていきました。

 

 

大阪市議会などで「暴力団に資金が流れているのでは」と指摘された同建協は11社にものぼり、大阪府警も同和対策費が暴力団の資金源になっている、との認識をこのころ持ちはじめていました。

 

そんな中、バブル崩壊より遡ること数年前の昭和60年1月、大阪府吹田市江坂町のマンション「GSハイム第二江坂」で、四代目山口組「竹中正久」組長と三人の幹部が射殺される事件が起きました。

 

 

 

竹中組長は、このマンションに「小西邦彦」を名乗って愛人と入居、というのも、実際の借主名義が「小西邦彦」という解放同盟飛鳥支部長で、彼は同建協加盟の「野間工務店」取締役、そして山口組系金田組の幹部でもありました。

 

 

事件が起こった時の緊迫した警察無線の様子をご視聴下さい。

 

 

山口組竹中正久組長暗殺時の警察無線