末野興産その3

結局、九州中州の事件も、これ以上進展することなく尻すぼみとなりました。

ちょうどこの時期、バブル崩壊とともに政府は不動産融資に対する「総量規制」を発動していて、借入をしていた不動産会社は軒並不良債権化していました。

 

 

 

 

そんな中、福岡県警が中州の捜査の過程で、末野興産から末野社長あてに「仮払金」名目で138億円を支出していることが発覚。

 

 

 

大阪国税局に通報、調査に入ったところ使途不明金として計上されておりそのうち1億2千万円が社長個人の遊興費に使われていることが分かりました。

 

 

 

ただ、この遊興費以外は追徴課税されることなく、当時はまさか国税局ともズブズブの関係とは誰も知る由もなく、不可解な事とされていました。

 

 

その年の暮れ、映画「京阪神殺しの軍団」のモデルとされ、山口組全国制覇の急先鋒だった元柳川組、柳川魏志組長の葬儀・告別式があり、イトマン事件の許永中被告、大物組長や「大悲会」の野村秋介氏らに混り、末野社長からの生花が供えられていてマスコミの好餌となっていました。

 

 

しかし、その後は沈静化し、再び、世間を賑わすことになるのは6年後のこととなるのです。

 

 

平成8年に入って間もなく大阪市西区の末野興産本社ビルでちょうどそのころ、報道されていた疑念を晴らすため記者会見が行われました。

 

 

それは、週刊文春が、末野社長は、宅見組と杯を交わしダイヤの指輪、高級腕時計をしている・・・

 

 

という記事についての釈明会見でした。

 

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ここでいう「杯」とは単に酒を吞み交わすだけではなく、疑似の親子・兄弟、つまりやくざ者になる、ということを意味します。

 

 

「私は暴力団ではありません」

 

 

また、入国ビザの発行を拒否されている件も先ほどの福岡事件の一件があったからで、「もう一度出し直してください」といわれているだけ、住専の件は「先が読めなかった私の責任」と認め、順次処分していって買い手を探していく、と説明しました。

 

 

 

暴力団事務所が末野興産ビルに入居している件も、「うちは180棟のビルを持ち、8千以上の店子に300の仲介会社が入っている。ひとつひとつチェックはできない。家賃もきっちり払ってくれているが弁護士と相談して退去してもらうよう手続きする」

 

当時、なぜか共産党大阪市議団がそのリストを作成し、追求していましたが、そのリストには、独立系では松浦組一正会が第八天翔ビルに始まって、残りはすべて山口組系列の山健、豪友、宅見、中野会、堀組、尾崎格系列下部組織の入居リストが公表されました。

 

 

木津信破たんを導いた原因でもある預金の引き出しも、「人から預かったお金の運用で預金していたもので、返すために引き出しただけ」

 

 

「強制執行のがれはしていない、身内企業ではなく全く他人の会社に物件を抱いてもらっているだけ」しかし、この記者会見の大部分がウソとわかり後に逮捕されることになるのです。

 

 

<つづく>

 

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末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7

末野興産その2

ナニワ借金王、末野興産の末野社長は
「末野組」が万博で儲けた割には、同年倒産。

その後、いくつかの会社に参画しては、いずれも倒産させた後
「末野興産」を設立したのは79年2月とされています。

そして、80年代後半には

 

 

「どこの街にでもある天翔ビル」

 

 

のキャッチフレーズで大阪市内の繁華街を中心に
200棟はあったとされています。

 

この、都心部に集中して建てた・・

という戦略は、ノンバンク、そして住専が

こぞって貸出競争に参入するという
アドバンテージを生み出し、

一時期借入額は6600億円に上りました。

 

 

 

芸能人との付き合いも深く、最初のきっかけは
キタ新地の末野興産ビルのテナントとして

藤田まことの妻が、ラウンジを経営するため、店子として
入居したのが始まり。

 

 

 

その後、藤田まことの妻が事業に失敗し、豊中にあった
藤田邸を末野興産の関連会社が買い取りましたが
その物件には山口組直系組長の妻名義で
2億円の根抵当権が設定されていた・・

という、いわく付の物件でした。

 

 

 

同時期、山口組と関連の深い元プロボクサー
渡辺二郎とも親交が深く、繁華街で飲むときは
社長のボディーガード役とされていました。

 

しかし、事態は大阪から遠くはなれた九州で
思わぬ展開を見せることとなったのです。

 

 

 

 

それは、九州有数の繁華街、福岡中州でのことです。
「7階建てのビル」と建築確認を出していたのが
実際は9階建ての「中州天翔ビル2号館」を建てた、
「建築基準法違反容疑」
で福岡県警に摘発されたのです。

 

 

 

 

その捜査にあたったのが、
「福岡県警暴力団集中取締本部」
という、一般企業であれば普通は
全くタッチしない部署だったのです。

 

 

 

これをきっかけに暴力団と親交があるのでは、
という噂が世間に広まりました。

 

 

 

というのも、平成2年頃、大手繊維メーカー
クラボウの株が山口組の当時ナンバーツー
だった宅見組の系列組織

 

 

「東生会」

 

の東会長が代表取締役をつとめる「天正興業」

に買い占められ、世間を騒がせた

一件があったのです・・・

 

 

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が、この天正興業の事務所が末野興産ビルを
本社にしてその前年設立、資金の一部を拠出した
のではないか、

もっといえば、天正興業は末野興産資金
が拠出された隠れ蓑ではないか・・

 

 

 

という疑念が出てきたのです。
業界ではSマネーといわれた
その資金も、元をただせば
住専やノンバンクからの融資金。

 

結局、株はクラボウが買い戻して
「いってこい」(損も得もなかった)
で終わったようですが、

その間受け取った配当金4500万の
一部が暴力団に流れたのではないか
と噂されていました。

 

 

 

結局、末野社長個人は罰金40万円
ということで決着。

 

 

 

時はバブルが崩壊した直後のことでした。

 

つづく

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末野興産その1

末野興産その2

末野興産その3

末野興産その4

末野興産その5

末野興産その6

末野興産その7

末野興産その1

末野興産といえば、かつては「どこにでもある天祥ビル」というネオンと共に、ミナミの繁華街をはじめ本当にあちらこちらにありました。

 

私が20代のころ、同じ年代の同業者と飲みに行ったときなど「いつかは、あないなろうや」と誓い合った記憶があります。

 

当時はそのからくりなど知るよしもなく、表面だけを見て夢を抱いたものでした。

 

その天下の末野興産に捜査のメスが入ったのが平成8年のころ。

 

最近キタの堂山町をウロウロしていましたら今現在もその遺構が残っていました。

 

S資金といわれ、「借りたら返すな」の金銭哲学。

 

住専5社から、2367億円を引っ張ってきて子会社に貸付金として分散。

 

その無法ぶりがまかり通ってきた背景には「暴力団」 「解放同盟」 「国税OB」の影がありました。

 

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さきほど、私が20代のころ、ミナミやキタに飲みに行ったとき本当にどこにでも「末野興産」と書かれたビルがボンボン林立していて、その中身も知らず「いつかは、あないなろうや」と同業仲間と誓い合った、というお話をしました。

 

ちょうど、そんな頃、平成7年頃だったと思いますがアイドル西村知美を起用したコマーシャルを頻繁に流していた木津信用組合が破たん。

 

直接のきっかけが386億円の預金を引き出した末野興産にあると、翌年強制捜査が入りました。

 

そのころ、マスコミが住専問題を取り上げ、国民の税金をつぎ込む、という話に展開していったので世論の追求が厳しくなって来た時でした。

 

その恰好の標的となったのが、関西ではその頭文字を取ってFOKAS(フォーカス)といわれた不動産会社でした。

 

Fは富士住建

Oはオギサカ

Kは川辺物産

Aは朝日住建

Sは末野興産

 

で、ちなみに、関東では

 

AIDS(エイズ)で

Aは麻布建物

Iはイ・アイ・イ インターナショナル

Dは第一不動産

Sは秀和

その他にも

 

MARUKO

箕輪不動産

MDI

で3M(スリーエム)

などがやり玉に挙がっていました。

 

本当はもっと沢山ありましたが特に上の会社はマスコミから突き上げられていました。

 

特に、その会社の代表者が「バブル紳士」として、派手に豪遊している記事などが目立っていましたね。

 

その末野社長は、というと鹿児島県出身、大阪此花区四貫島で育ち、兄の土木建設会社「末野組」に参画。

 

代表になってから、大阪万博の好景気の波に乗って、業容を拡大したとされていました。

つづく

 

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末野興産その6

末野興産その7