末野興産その2

ナニワ借金王、末野興産の末野社長は
「末野組」が万博で儲けた割には、同年倒産。

その後、いくつかの会社に参画しては、いずれも倒産させた後
「末野興産」を設立したのは79年2月とされています。

そして、80年代後半には

 

 

「どこの街にでもある天翔ビル」

 

 

のキャッチフレーズで大阪市内の繁華街を中心に
200棟はあったとされています。

 

この、都心部に集中して建てた・・

という戦略は、ノンバンク、そして住専が

こぞって貸出競争に参入するという
アドバンテージを生み出し、

一時期借入額は6600億円に上りました。

 

 

 

芸能人との付き合いも深く、最初のきっかけは
キタ新地の末野興産ビルのテナントとして

藤田まことの妻が、ラウンジを経営するため、店子として
入居したのが始まり。

 

 

 

その後、藤田まことの妻が事業に失敗し、豊中にあった
藤田邸を末野興産の関連会社が買い取りましたが
その物件には山口組直系組長の妻名義で
2億円の根抵当権が設定されていた・・

という、いわく付の物件でした。

 

 

 

同時期、山口組と関連の深い元プロボクサー
渡辺二郎とも親交が深く、繁華街で飲むときは
社長のボディーガード役とされていました。

 

しかし、事態は大阪から遠くはなれた九州で
思わぬ展開を見せることとなったのです。

 

 

 

 

それは、九州有数の繁華街、福岡中州でのことです。
「7階建てのビル」と建築確認を出していたのが
実際は9階建ての「中州天翔ビル2号館」を建てた、
「建築基準法違反容疑」
で福岡県警に摘発されたのです。

 

 

 

 

その捜査にあたったのが、
「福岡県警暴力団集中取締本部」
という、一般企業であれば普通は
全くタッチしない部署だったのです。

 

 

 

これをきっかけに暴力団と親交があるのでは、
という噂が世間に広まりました。

 

 

 

というのも、平成2年頃、大手繊維メーカー
クラボウの株が山口組の当時ナンバーツー
だった宅見組の系列組織

 

 

「東生会」

 

の東会長が代表取締役をつとめる「天正興業」

に買い占められ、世間を騒がせた

一件があったのです・・・

 

 

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が、この天正興業の事務所が末野興産ビルを
本社にしてその前年設立、資金の一部を拠出した
のではないか、

もっといえば、天正興業は末野興産資金
が拠出された隠れ蓑ではないか・・

 

 

 

という疑念が出てきたのです。
業界ではSマネーといわれた
その資金も、元をただせば
住専やノンバンクからの融資金。

 

結局、株はクラボウが買い戻して
「いってこい」(損も得もなかった)
で終わったようですが、

その間受け取った配当金4500万の
一部が暴力団に流れたのではないか
と噂されていました。

 

 

 

結局、末野社長個人は罰金40万円
ということで決着。

 

 

 

時はバブルが崩壊した直後のことでした。

 

つづく

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