ハンナン事件浅田満 その5

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96年からは関西空港の全体構想を盛り込ませるための促進キャンペーンが始まりました。

 

そして、当時の中川和雄府知事が、泉南市などの地元自治体が貴重な財源としてあてにしていた空港施設の固定資産税を地元自治体の財源には組み込まず、全体構想の事業費に充てると表明したため、泉南市議会は反発。

 

 

そして94年3月、周辺自治体が全体構想促進決議を上げるなか、泉南市は唯一、地元無視の全体構想計画実行に反対する決議しを賛成多数で可決しました。

 

 

この反対決議に大阪府や関西財界などは衝撃を受け、地元自治体議会が反対の声を上げるプロジェクトに、国がすんなり首を縦に振ることなど考えられない事態になりました。

 

 

「反対決議の動きに、中川知事はあわてふためき、『泉南の言うことはなんでも聞くから、それだけはやめてほしい』とあらゆるルートを使って阻止に出た。当時の自民党の岡田進府議会議長が、反対決議に相乗りしていた泉南市議会議長に『やめとけ』と圧力をかけたり、旧社会党や旧民社党の府会議員から系列の泉南市議会議員に『除名』をチラつかせて、反対決議已ないよう、執拗な働きかけがあった」

 

との証言もあったくらいでした。

 

 

事の重大さにショックを受けた当時の泉南市長は、反対決議直後に突然、引退を表明。

 

 

追い討ちをかけるように、同市長は脳溢血で倒れ、翌日急死。

 

 

3か月後の6月、この「反対決議」が一転して撤回されることになりました。

 

 

新市長当選のわずか一週間後、中川府知事と当時の浦西良介筆頭副知事が新市長と面談し、反対決議撤回について協議したことから市議会の空気ほ一変しました。

 

 

反対決議は撤回されることになったのですが、この不可解な反対決議撤回をめぐつて現ナマが動いていたことが発覚、市議会議長と元議長が贈収賄事件で大阪府警に逮捕されてしまいました。

 

 

そこでは、現金の出所が、地元のミニコミ誌の主宰者だったと判明しました。

 

 

どうして、ミニコミ誌の主宰者なのでしょうか。

 

 

反対決議撤回から約1カ月後の94年8月初め、大阪ミナミの高級料亭で、浦西副知事、ミニコミ誌発行人、同発行人の知人、泉南市市長、のちに汚職事件で逮捕された当時の泉南市議会議長、同市議会議長に「反対決議はやめよ」と圧力をかけた岡田進・前大阪府議会議長(当時)らが会合し、反対決議撤回の慰労会を開きました。

 

 

宴席で下座に座った浦西副知事が、上座にいたミニコミ誌発行人らに「いろいろ努力してもらいありがとうございました」とお礼を述べたとされています。

 

慰労会出席者の人選は、このミニコミ誌の発行人が行なっていました。

 

宴会参加者の中に、反対決議撤回で現金を市議に渡すなど、フィクサーの役割を果たしたミニコミ誌主宰者の知人が同席していたとされていましたが、この知人こそハンナンのオーナー浅田満氏のことでした。

 

浅田氏は、当のミニコミ誌のスポンサーの一人でした。

 

 

当時の泉南市議会関係者は、「反対決議撤回の動きが表面化した時期、のちに逮捕された市議会議長はしきりに浅田氏のことを話題にしていた。自宅を訪問したらしく、なんでも建設費は70億円ですごい豪邸やったと言っていた。経過を振り返ると反対決議撤回の真のフィクサー役は浅田氏だったということになる」と証言。

 

 

また、泉南市議会議長に圧力をかけた岡田進・元府議会議長は当時大阪府藤井寺市出身の府議会議員で、藤井寺市を含む南河内地方の地元政界を事実上動かしていたと言われていた浅田氏の一の子分としても知られていました。

 

 

浅田氏が関空開発をめぐつて暗躍したのはこれだけではなく、地元自治体の再開発計画予定地を事前に買い占めていたことも分かりました。

 

 

泉佐野市では、当初、外資系ホテル、大手スーパー「マイカル」を核にした駅前再開発事業が計画されていましたが、その用地の一角をハンナンの関連会社で、浅田氏が代表取締役を務める食肉販売会社ハンナンマトラスが買い占めていたのです。

 

 

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ハンナン事件浅田満 その1

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ハンナン事件浅田満 その3

ハンナン事件浅田満 その4