ハンナン事件浅田満 その3

こうして輸入肉の入札の仕組みが出来上がり全国同和の落札量は、いつのまにか業界でダントツになりました。

 

その後日米間の協議の結果、牛肉の価格を業者が自由に判断して買いつけられる売買同時入札という新しい輸入方式(SBS方式)が導入されました。

 

このとき、SBS枠の調整にあたったのが畜産振興事業団の青山氏で、同和関係者の多い関西のいくつかの卸売市場の中に浅田氏が実権を握っていた羽曳野市食肉地方卸売市場も含まれていました。

 

当時、全国有数の食肉市場だった松原食肉市場で輸入冷凍牛5521トンのうち、浅田氏が会長を務めるハンナンが27%、解放同盟大阪府連副委員長の山口公男氏が社長を務める松原同和食肉加工会社が29%を、それぞれ義務づけられたセリをせずに買いつけ、業界で問題になるほど独占していました。

 

こうしたことからおのずと浅田氏系列の市場や団体・企業に輸入肉が集中することになり、浅田氏は業界で「輸入肉のドン」 と呼ばれるようになっていきました。

 

以前の記事で書きました畜産汚職事件は浅田氏が、当時の大阪府議会議長だった自民党の西野陽代議士に、議長就任祝い金として500万円を渡していたことが発覚、西野議長も警視庁から事情聴取されていたことが明るみに出たのです。

 

西野議長が浅田氏から現金500万円を受け取ったのは、府議会議長に就任した87年6月のことでしたが歴代議長にも同様の祝い金が渡されていたとの疑惑も出ました。

 

しかしそれ以上追及されることもなく、話はフェードアウトしたかのように見えました。

 

ただ浅田氏が、3人の国会議員に毎年数千万円の闇献金をしていたことが警視庁の調べで新たに分かったのです。

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その2

彼はチルドとよばれる輸入冷蔵肉を扱う事で他を圧倒する取引高を生み出しました。

 

通常冷蔵肉は冷凍と違って1か月半程度しか保存できないのですが冷凍肉に比べて新鮮なため、国産肉とも競争できる輸入肉なのです。

 

このチルドをめぐつて年4回、畜産振興事業団の一室で売り渡す相手がたった一団体という奇妙な入札が行なわれていました。

 

このチルドを必ず落札できるのが、全国の専門小売店のほぼ8割に当たる19000店余りが加入した全国食肉事業協同組合連合会(全肉連)で、浅田氏はこの団体の副会長も務めていました。

 

そしてチルドは、浅田氏が会長になったこともある大阪府食肉事業協同組合連合会を通じ、同氏が理事長だった羽曳野市食肉事業協同組合など大阪府肉連傘下の8団体に流れ、ハンナン系列などの個別業者に届く仕組みになっていました。

 

それまでチルドは、全肉連、全国同和など5団体への割り当てでしたが、「利権化している」と国会で問題にされた78年8月から、辞退した関西主婦連合会を除く4団体の入札制度に切ち替わりました。

 

ところが、同じ年の10月、畜産振興事業団は、「全国の小売店を通じて消費者に買ってもらう」という理由で入札を専門小売店中心の全肉連一本に切り替えてしまいました。

 

これは全肉連の副会長を兼任していた浅田氏がやはり自身が専務理事を務める全国同和系列の食肉業者の利権を守ったということでもあります。

 

オイルショックが起きる少し前、農水省は牛肉不足で急騰した価格を沈静化させようと輸入枠を大幅に拡大していました。

 

 

そこにオイルショックが襲い、不況のあおりで需要は急減、輸入港にはコンテナに詰まった牛肉があふれ、腐って緑色に変色するという、いわゆるグリーンビーフ事件が起こりました。

 

 

処分に困った牛肉を畜産振興事業団が背負わされそうになったとき、引き取り手として名乗りを上げたのが、浅田氏でした。

 

 

浅田氏はこのとき、同事業団に貸しをつくった格好になりました。

 

 

国は、オイルショックをはさんで、牛肉の国内生産量の維持と価格安定のため、輸入肉の取り扱いを、畜産振興事業団に一手に握らせるようになりました。

 

 

このとき、前述したような輸入牛肉売り渡しの仕組みがほぼできあがったとされています。

 

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その1

食肉の帝王、浅田満氏が経営するハンナンは、1947年実父が食肉卸売業の浅田商店を創業したのが始まりでした。

 

73年には阪南畜産と名称を変更し、85年にはグループを統合するハンナンを設立。

 

事件当時資本金は4億6000万円、業界関係者の間では、その儲けぷりについて、「日銭一億円」 ともいわれ事実その年商は1400億円にも上っていました。

 

また、87年大阪地検特捜部が摘発した中企連、大企連会員グループによる巨額脱税事件の後、大企連会員のハンナンは巨額の修正申告をし、100億円もの税金を支払っていました。

 

狂牛病騒ぎが起こる前の年の額で、食肉関係のグループ総売上高は3000億円にも上っていた、といわれています。

 

浅田氏とは、部落解放同盟をバックにして輸入食肉業界の頂点に君臨し、中央の政界とも太いパイプを持ち、大阪府政の背後に暗躍するフィクサーといわれており、浅田氏は各府県にある同和食肉事業協同組合の輸入肉の共同購入などを取り仕切る、全国同和食肉事業協同組合連合会専務理事の地位にありました。

 

この全国同和食肉事業協同組合連合会(全国同和)設立の基盤になったのは、70年12月に結成された大阪同和食肉事業協同組合(大阪同和)で、浅田ファミリーの次男だった満氏は、長男が社長を務めていた阪南畜産での経営手腕を買われ、30歳そこそこの年齢で大阪同和の専務理事に就任。

 

畜産振興事業団が独占的に取り扱っている外国産の輸入肉をめぐり浅田氏が放出枠の拡大を狙って、農林水産省の外郭団体特殊法人畜産振興事業団食肉部長青山氏を買収したというものでした。

 

青山氏は、輸入肉の買いつけや国内での放出売り渡しに関する業務を統括、業界では 「肉の天皇」の異名を取っていたほどの人物でした。

 

全国同和の輸入肉の落札量は競争入札売りで、83年約4200トン、84年約5300トン、85年約4000トンにも上り、入札参加団体中最大の量でした。

 

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競争入札以外の分も含めた85年の全落札量で見ると約6000トン、畜産振興事業団の需要者団体などで構成された指定団体に対する売り渡し量の、約20%にも達していたといいます。

 

全国同和は、こうした大枠の取ち扱い量を背景に、関西の食肉市場での価格形成に大きな影響力を持っていました。

 

全国同和が畜産振興事業団から買い入れた牛肉は卸売り業者を経て小売店の店頭に並ぶ訳ですが業界関係者によると、当時国内で平均的に消費されていた米国産ステーキ用ヒレ肉の生産地価格はキロ当たり1900円前後で、事業団は、これに輸入商社のマージン・経費などを上乗せし、1950円前後で買い上げ。

 

事件摘発当時の落札価格は2850円前後で、卸売り業者を経て、小売店に卸される価格は約3100円。この間の流通マージンはキロ当たり200円前後で、全国同和やハンナンなどの利益になる仕組みでした。

 

こうして、輸入肉が店頭に並ぶ頃には、キロ当たり5000円近くに跳ね上がる仕組みは浅田氏がこうしたかたちで利益を生む輸入肉の取り扱い枠拡大に奔走した活動が実を結んだ、といってよいでしょう。

つづく

 

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