ハンナン事件浅田満 その6

田尻町では駅前再開発構想予定地約100坪を浅田氏が社長を務める羽曳野市の金融業アークライトによって事前に買い占められ、町議会で問題になっていました。

 

当時、田尻町長は町議会で「浅田満氏と親しい間柄といわれているがどうか」と質問され「そういうことは報告する義務はない」と否定しませんでした。

 

ハンナンには都合二十数社からなるグループ企業があり、そのハンナングループには地元羽曳野市の公共事業受注をめぐってたびたび疑惑が取りざたされました。

 

羽曳野市は73年から89年までの4期16年、共産党員が市長に選出された自治体として知られていますが、福谷剛蔵市長になってからはハンナングループが市の公共事業を独占するようになりました。

 

たとえば92年羽曳野市立と場の増改築工事を当初16億円でハンナンのファミリー企業「昭栄興業」がほかの建設会社との共同企業体で受注しましたが、落札から1か月も経たないうちに事実上浅田氏が支配する地元の食肉組合が工事内容の変更を要望。

 

福谷市長はこの要望に添って93年2月、市長の専決処分で予算規模を22億円にアップし、さらに議会で「27億円にグレードアップする」と表明。

 

また市は同じくファミリー企業の浅田建設に91年から95年の間、公共事業12億5000万円を発注していました。

 

市が5年間で両社に発注した工事は44億円にもなりましたが、97年の市議会で実は両社とも本社と称する羽曳野市内の浅田ビルには実在しない幽霊会社だったことが発覚。

 

ハンナングループは、市議会で追及されたその翌日、昭栄興業名のトラックで本社所在地に登録している浅田ビルに机や機材を急遽運び込み、ビル内の案内プレートを、「阪南畜産」から「浅田建設」「昭栄興業」に書き換えました。

 

福谷市長の後援政治団体「羽曳野政経研究会」の顧問には浅田建設の役員が就任していました。

 

また、ハンナングループが、同市長の支援団体に1100万円を献金したり、ハンナンマトラスが社有地を市長の選挙事務所に提供するなど、福谷氏と浅田氏との間柄は、浅田氏が「羽曳野市の影の市長」と言われるほどでした。

 

畜産振興事業団の汚職事件以降、浅田満氏の名前が再び登場することになったのは、大阪府知事が太田房江氏になってからのことでした。

 

太田知事は、横山ノック前知事が辞任に追い込まれた後の2000年2月の選挙で知事に当選。

 

太田氏は自民党幹事長だった野中広務氏と公明党が主導した候補者選びで浮上した旧通産省出身候補として出馬。

 

その太田知事もまた浅田疑惑の渦中の人で、その一つが大阪府の第三セクター、松原食肉市場公社の統廃合再編にまつわる疑惑がありました。

 

大阪府下にある食肉卸売市場は、松原市場、羽曳野市場、大阪市・南港市場の3か所にありますが、疑惑の舞台となった松原市場は、荷受業務を行なう「松原食肉荷受」と、と畜解体業者 「松原ミートプラント」で構成されていました。

 

つづく

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3

ハンナン事件浅田満 その4

ハンナン事件浅田満 その5

ハンナン事件浅田満 その5

96年からは関西空港の全体構想を盛り込ませるための促進キャンペーンが始まりました。

 

そして、当時の中川和雄府知事が、泉南市などの地元自治体が貴重な財源としてあてにしていた空港施設の固定資産税を地元自治体の財源には組み込まず、全体構想の事業費に充てると表明したため、泉南市議会は反発。

 

 

そして94年3月、周辺自治体が全体構想促進決議を上げるなか、泉南市は唯一、地元無視の全体構想計画実行に反対する決議しを賛成多数で可決しました。

 

 

この反対決議に大阪府や関西財界などは衝撃を受け、地元自治体議会が反対の声を上げるプロジェクトに、国がすんなり首を縦に振ることなど考えられない事態になりました。

 

 

「反対決議の動きに、中川知事はあわてふためき、『泉南の言うことはなんでも聞くから、それだけはやめてほしい』とあらゆるルートを使って阻止に出た。当時の自民党の岡田進府議会議長が、反対決議に相乗りしていた泉南市議会議長に『やめとけ』と圧力をかけたり、旧社会党や旧民社党の府会議員から系列の泉南市議会議員に『除名』をチラつかせて、反対決議已ないよう、執拗な働きかけがあった」

 

との証言もあったくらいでした。

 

 

事の重大さにショックを受けた当時の泉南市長は、反対決議直後に突然、引退を表明。

 

 

追い討ちをかけるように、同市長は脳溢血で倒れ、翌日急死。

 

 

3か月後の6月、この「反対決議」が一転して撤回されることになりました。

 

 

新市長当選のわずか一週間後、中川府知事と当時の浦西良介筆頭副知事が新市長と面談し、反対決議撤回について協議したことから市議会の空気ほ一変しました。

 

 

反対決議は撤回されることになったのですが、この不可解な反対決議撤回をめぐつて現ナマが動いていたことが発覚、市議会議長と元議長が贈収賄事件で大阪府警に逮捕されてしまいました。

 

 

そこでは、現金の出所が、地元のミニコミ誌の主宰者だったと判明しました。

 

 

どうして、ミニコミ誌の主宰者なのでしょうか。

 

 

反対決議撤回から約1カ月後の94年8月初め、大阪ミナミの高級料亭で、浦西副知事、ミニコミ誌発行人、同発行人の知人、泉南市市長、のちに汚職事件で逮捕された当時の泉南市議会議長、同市議会議長に「反対決議はやめよ」と圧力をかけた岡田進・前大阪府議会議長(当時)らが会合し、反対決議撤回の慰労会を開きました。

 

 

宴席で下座に座った浦西副知事が、上座にいたミニコミ誌発行人らに「いろいろ努力してもらいありがとうございました」とお礼を述べたとされています。

 

慰労会出席者の人選は、このミニコミ誌の発行人が行なっていました。

 

宴会参加者の中に、反対決議撤回で現金を市議に渡すなど、フィクサーの役割を果たしたミニコミ誌主宰者の知人が同席していたとされていましたが、この知人こそハンナンのオーナー浅田満氏のことでした。

 

浅田氏は、当のミニコミ誌のスポンサーの一人でした。

 

 

当時の泉南市議会関係者は、「反対決議撤回の動きが表面化した時期、のちに逮捕された市議会議長はしきりに浅田氏のことを話題にしていた。自宅を訪問したらしく、なんでも建設費は70億円ですごい豪邸やったと言っていた。経過を振り返ると反対決議撤回の真のフィクサー役は浅田氏だったということになる」と証言。

 

 

また、泉南市議会議長に圧力をかけた岡田進・元府議会議長は当時大阪府藤井寺市出身の府議会議員で、藤井寺市を含む南河内地方の地元政界を事実上動かしていたと言われていた浅田氏の一の子分としても知られていました。

 

 

浅田氏が関空開発をめぐつて暗躍したのはこれだけではなく、地元自治体の再開発計画予定地を事前に買い占めていたことも分かりました。

 

 

泉佐野市では、当初、外資系ホテル、大手スーパー「マイカル」を核にした駅前再開発事業が計画されていましたが、その用地の一角をハンナンの関連会社で、浅田氏が代表取締役を務める食肉販売会社ハンナンマトラスが買い占めていたのです。

 

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3

ハンナン事件浅田満 その4

ハンナン事件浅田満 その4

この議員は俗に畜産族と呼ばれていた三名の議員で、農水省や畜産振興事業団への働きかけを依頼していました。

 

浅田氏と政治家との関係で有名なのは、畜産族の有力議員だった故・中川一郎農水相とはじっ懇の間柄で、中川氏が来阪すると浅田氏が出迎えていました。

 

また、浅田氏が理事をしていた羽曳野市同和食肉事業協同組合が、部落解放同盟前委員長で旧社会党副委員長の上田卓三・元衆院議員に同氏が参院大阪選挙区候補として初めて出馬した73年、300万円の闇献金をしたことも分かったのですが、羽曳野市同和食肉事業協同組合は73年3月、輸入肉の割り当て・配分を主要業務として設立された任意組合で、大阪府同和食肉事業協同組合傘下の1つでした。

 

組合員は65人で浅田氏はそこで府同和食肉事業協同組合輸入部長を兼任。

 

同組合は、畜産振興事業団から輸入肉の割り当てを受けると、それに1キロ当たり5円を販売手数料として加算し支部に卸し、支部はさらに1キロ当たり5円の販売手数料を加算して、組合員に卸す仕組みになっていました。

 

73年度の府同和食肉事業協同組合の割り当て分は4800トンで、管理するだけで総額4800万円ものカネが転がり込む仕組みになっていました。

 

問題になった羽曳野市同和食肉事業協同組合の経理明細書によると、300万円が上田氏の参院選選挙の費用、また50万円が羽曳野市長選挙に立候補した旧社会・公明・民社の三党推薦候補の選挙資金になっていました。

 

この300万円は総会の決議を経ず理事会の一存で支出を決定。

 

このため組合員の中から、「上田卓三がわしらのためになんかしてくれたことはないじゃないか」と不満の声が上がったといわれていました。

 

結局組合は74年に解散しましたが、その解散総会直前には理事を務める浅田氏の専横、乱脈ぶりに関するビラが配布されました。

 

「浅田満は、当然支払うべき1千万円の予納金を納めず、己が本部担当部長として政府との交渉の上、多量に取ってきた割り当てを売れぬと見れば組合員に押し付けて、売れるとみればこの逆です。

さる47年度後期の分でも解放同盟の袖にかくれて行動を起こし本部役員等が運動の一環として真正直に行動した結果は儲けるのは浅田ではなかったか。

馬鹿を見たのは他の本部役員一同である。

政府農林省は浅田一人が儲けるために輸入肉を出したのではない。

部落産業育成と一般消費者に一文でも安い肉との立前から輸入肉を出したのであります」

 

浅田氏と部落解放同盟の関係は羽曳野市の解放同盟向野支部の副支部長の役職に就いていて、ハンナンは部落解放同盟員でなければ入会できなかった、税務申告フリーパスの大企連加盟業者でした。

 

いずれにしても、繁田同和食肉事業協同組合会長、浅田氏主導によるこうした乱脈経営の結果、同組合は赤字のまま解散。

 

組合員の中には清算によって本来返却されるべき予納金200~300万円を受け取れない人も出てきました。

 

浅田氏その後、1兆5600億円の総事業費をかけた巨大プロジュクト、関西空港の二本目の滑走路をつくる第二期工事にも名を連ねました。

 

それは関西空港の地元自治体と言えは、大阪府泉佐野市、泉南市、田尻町の二市一町をのことを指しますが、そのうちの一つ泉南市には、総事業費1兆4000億円をかけた第一期工事(滑走路一本)後の恩恵は何もなく市議会には不満が渦巻いていた中でのことでした。

つづく

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3