歌舞伎町の家賃相場は当時その店の権利を売り買いする営業権によって決まっていました。
バブル期までは、営業権を譲渡する形で店を開いていました。
たとえば、歌舞伎町でいうと区役所通りでも表通りに面していて、風林会館の前あたりまでのビルに入るのが高級クラブとされていて、店の広さにもよりますが50人定員のまずまずのところで、2500万円ぐらいでした。
それで、家賃が坪5万円。
そのうち大金が必要な権利譲渡は成約が難しくなってきました。
高級ではない普通のクラブだとリースの保証金300万円、家賃坪15000円というのが相場となってきました。
バブル崩壊後は現実に客が入ってないので貸科を下げるしかなく、それでも店が埋まりませんでした。
大家のなかには、又貸しを認める者もいて、月40万円の賃料が払えないので、通常営業が終わったあと、月10万円で深夜営業を行なう者に貸す、といった形態もでてきました。
賃料相場は大幅に下落したといっても、いっこうに景気は上向きませんでした。
夜逃げするクラブ経営者が続発してもよさそうなものですが、それが歌舞伎町の面白いところで、年間半数の店が入れわるところなのです。
大家は、賃料が払えなくなっても保証金のある間は放っておくのです。
まず騒ぐのは酒屋、ついで給料を払ってくれないホステス。
当然、店の雰囲気が悪くなり客は減ります。
酒屋は、酒を配達しなくなり、ホステスはやめていきます。
大家は保証金がなくなったら、ここで初めてどうするのか聞いてきます。
経営者は黙って去るしかないのですが、店が潰れても不良債権にはなりません。
やくざ者を代理人として賃料の値下げ交渉、あるいは賃料をタダにしろ、などのゴリ押しを言ってくる者もおり、大家もヤクザを前面に立てて話をするようになります。
どちらにしてもヤクザが儲かるようになっていました。
歌舞伎町にも「桃源社」「コリンズ」といったバブル代表格の大手不動産会社が進出し、豊富な資金力にモノをいわせてソシアルビルを建てましたが、当初は結構人気があり、すぐにテナントが埋まりました。