それだけ許永中と亀井代議士の仲は深かったということですが、二人の関係が明るみに出たのは、90年5月のことでした。
イトマン事件の被告の一人で当時許永中のパートナーでもあった伊藤寿永光元イトマン常務が社長だったリゾート開発会社「ワールド・インペリアル・ウイング」が亀井代議士の地元、広島県庄原市でゴルフ場開発を手がけたことがありました。
この時、亀井代議士は、許永中、伊藤元イトマン常務と同行して住民を前にしてこのリゾート開発をぶち上げました。
許永中の出資していた同社の会長は、元警視総監の川合寿人氏でした。
許永中がイトマン株を大量に買い占めていたこの年の秋、亀井代議士は秘書名義で20万株のイトマン株を購入していました。
翌91年夏、イトマン事件が摘発され大阪地検特捜部が東京・平河町にあった許永中グループ企業「富国産業」名義の7、8億円はするといわれた高級マンションを家宅捜索、この部屋は一時期亀井代議士が許永中から提供されて事務所として使っていたところでした。
許永中グループの元顧問税理士、剣持昭司・元熊本国税局長はイトマン事件の公判で88年10月から91年5月まで亀井代議士の紹介で許永中の顧問税理士になったと証言しています。
のちに保釈中に逃亡した許永中が収監され、さらに田中弁護士も逮捕されたことから亀井代議士が事件に関与していたかどうかをめぐり永田町は大騒ぎになりました。
いずれにせよ、設立された「大阪アメリカンクラブ」の役員に就いたのは、許永中の関係者が主で、監査役の弁護士も多くがイトマン事件弁護団メンバーでした。
その中の一人が収監後再開されたイトマン事件公判で許永中の新弁護人に就任、その直後警視庁に許永中の逃亡を助けたとして犯人隠避罪で逮捕・起訴された大阪弁護士会の兼松浩一弁護士でした。
大阪アメリカンクラブは結局、工事費未払いで途中で挫折。
「大阪オリンピック」の話が出た頃、許永中は林社長を大阪市北区天神橋六丁目の交差点のところにある土地に案内しました。
土地の広さは約2000坪。
ここに、さきに許永中が道場の近くにつくったパチンコ店・有恒クラブにならって、新しくパチンコ店をオープンさせる計画を披露しました。
「用地買収額は50億~60億円で、20億円で立体駐車場もつくれる。完成したら利息も含めて引き取らせてもらう」
などと言って若築建設に出資を持ちかけました。
96年10月ころ、京都府船井郡園部町にサーキットをつくる話もでました。
田中弁護士が
「京都の園部町に開発許可寸前の物件がある。『神林隆夫』という人物がいて、彼がすべて5年かけてやってきた物件だ。設計・管理は鈴木亜久里がやっている」
それで、そのF1レーサーの鈴木亜久里、田中弁護士、林社長でゴルフに出かけ、サーキットの立地や条件の良さを説明されました。
この話には山段氏も加わり、「園部町長の兄弟が(当時自民党総務会長だった)野中広務だ。話はかたいし、場所も最高だ。成功間違いなしだ」
許被告も「サーキットだけでなく、航空ショーもからめれば成功間違いなしだ」
若築建設の担当者が現地調査に赴き、「神林隆夫」という人物に説明を受けました。
それによると、「完成保証は若築がする。山段が仕切って、農協と明治生命から融資を受けるようにしてあるが、完成までの間60億の融資に対する債務保証が必要。工事代金は40億かかるが、それは自動的に若築に入る」という条件だった。
明治生命と会談した結果、事業母体が弱小で明治生命に積極性が感じられなかったことから債務保証はできないということになりました。
井手野下氏の話で「自分が、住友信託銀行にいたころの知人に五十鈴建設の専務がいる。五十鈴建設のために一人で苦労している。現オーナーは病床に臥せており、一族は会社のために何の役にもたっていない。若築と業務提携できないか。そうすれば五十鈴は立ち直れるし、新井組との合併でもうまく行った時には、大いに役に立つはずだ。そのためには 『みどり銀行(旧兵庫銀行)』 の株式を格安で売り渡せる」
若築建設が支援に入ったことを示すため、五十鈴建設が仕入れた土地を若築建設が建築するという条件で買いました。
しかし、五十鈴建設は翌97年3月倒産。
96年7月ごろ、許永中から大阪の不動産業者・三優実業開発の福川拓一社長を紹介されました。
福川社長は、当時山口組ナンバー2の宅見組の企業舎弟でのちに許被告の逃走を助けたとして犯人蔵匿罪で警視庁に逮捕された人物でした。
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許永中と石橋産業 その1
許永中と石橋産業 その2
許永中と石橋産業 その3
許永中と石橋産業 その4
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許永中と石橋産業 その6
許永中と石橋産業 その7
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許永中と石橋産業 その10
許永中と石橋産業 その11
許永中と石橋産業 その12