ハンナン事件浅田満 その4

この議員は俗に畜産族と呼ばれていた三名の議員で、農水省や畜産振興事業団への働きかけを依頼していました。

 

浅田氏と政治家との関係で有名なのは、畜産族の有力議員だった故・中川一郎農水相とはじっ懇の間柄で、中川氏が来阪すると浅田氏が出迎えていました。

 

また、浅田氏が理事をしていた羽曳野市同和食肉事業協同組合が、部落解放同盟前委員長で旧社会党副委員長の上田卓三・元衆院議員に同氏が参院大阪選挙区候補として初めて出馬した73年、300万円の闇献金をしたことも分かったのですが、羽曳野市同和食肉事業協同組合は73年3月、輸入肉の割り当て・配分を主要業務として設立された任意組合で、大阪府同和食肉事業協同組合傘下の1つでした。

 

組合員は65人で浅田氏はそこで府同和食肉事業協同組合輸入部長を兼任。

 

同組合は、畜産振興事業団から輸入肉の割り当てを受けると、それに1キロ当たり5円を販売手数料として加算し支部に卸し、支部はさらに1キロ当たり5円の販売手数料を加算して、組合員に卸す仕組みになっていました。

 

73年度の府同和食肉事業協同組合の割り当て分は4800トンで、管理するだけで総額4800万円ものカネが転がり込む仕組みになっていました。

 

問題になった羽曳野市同和食肉事業協同組合の経理明細書によると、300万円が上田氏の参院選選挙の費用、また50万円が羽曳野市長選挙に立候補した旧社会・公明・民社の三党推薦候補の選挙資金になっていました。

 

この300万円は総会の決議を経ず理事会の一存で支出を決定。

 

このため組合員の中から、「上田卓三がわしらのためになんかしてくれたことはないじゃないか」と不満の声が上がったといわれていました。

 

結局組合は74年に解散しましたが、その解散総会直前には理事を務める浅田氏の専横、乱脈ぶりに関するビラが配布されました。

 

「浅田満は、当然支払うべき1千万円の予納金を納めず、己が本部担当部長として政府との交渉の上、多量に取ってきた割り当てを売れぬと見れば組合員に押し付けて、売れるとみればこの逆です。

さる47年度後期の分でも解放同盟の袖にかくれて行動を起こし本部役員等が運動の一環として真正直に行動した結果は儲けるのは浅田ではなかったか。

馬鹿を見たのは他の本部役員一同である。

政府農林省は浅田一人が儲けるために輸入肉を出したのではない。

部落産業育成と一般消費者に一文でも安い肉との立前から輸入肉を出したのであります」

 

浅田氏と部落解放同盟の関係は羽曳野市の解放同盟向野支部の副支部長の役職に就いていて、ハンナンは部落解放同盟員でなければ入会できなかった、税務申告フリーパスの大企連加盟業者でした。

 

いずれにしても、繁田同和食肉事業協同組合会長、浅田氏主導によるこうした乱脈経営の結果、同組合は赤字のまま解散。

 

組合員の中には清算によって本来返却されるべき予納金200~300万円を受け取れない人も出てきました。

 

浅田氏その後、1兆5600億円の総事業費をかけた巨大プロジュクト、関西空港の二本目の滑走路をつくる第二期工事にも名を連ねました。

 

それは関西空港の地元自治体と言えは、大阪府泉佐野市、泉南市、田尻町の二市一町をのことを指しますが、そのうちの一つ泉南市には、総事業費1兆4000億円をかけた第一期工事(滑走路一本)後の恩恵は何もなく市議会には不満が渦巻いていた中でのことでした。

つづく

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3

ハンナン事件浅田満 その3

こうして輸入肉の入札の仕組みが出来上がり全国同和の落札量は、いつのまにか業界でダントツになりました。

 

その後日米間の協議の結果、牛肉の価格を業者が自由に判断して買いつけられる売買同時入札という新しい輸入方式(SBS方式)が導入されました。

 

このとき、SBS枠の調整にあたったのが畜産振興事業団の青山氏で、同和関係者の多い関西のいくつかの卸売市場の中に浅田氏が実権を握っていた羽曳野市食肉地方卸売市場も含まれていました。

 

当時、全国有数の食肉市場だった松原食肉市場で輸入冷凍牛5521トンのうち、浅田氏が会長を務めるハンナンが27%、解放同盟大阪府連副委員長の山口公男氏が社長を務める松原同和食肉加工会社が29%を、それぞれ義務づけられたセリをせずに買いつけ、業界で問題になるほど独占していました。

 

こうしたことからおのずと浅田氏系列の市場や団体・企業に輸入肉が集中することになり、浅田氏は業界で「輸入肉のドン」 と呼ばれるようになっていきました。

 

以前の記事で書きました畜産汚職事件は浅田氏が、当時の大阪府議会議長だった自民党の西野陽代議士に、議長就任祝い金として500万円を渡していたことが発覚、西野議長も警視庁から事情聴取されていたことが明るみに出たのです。

 

西野議長が浅田氏から現金500万円を受け取ったのは、府議会議長に就任した87年6月のことでしたが歴代議長にも同様の祝い金が渡されていたとの疑惑も出ました。

 

しかしそれ以上追及されることもなく、話はフェードアウトしたかのように見えました。

 

ただ浅田氏が、3人の国会議員に毎年数千万円の闇献金をしていたことが警視庁の調べで新たに分かったのです。

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その2

彼はチルドとよばれる輸入冷蔵肉を扱う事で他を圧倒する取引高を生み出しました。

 

通常冷蔵肉は冷凍と違って1か月半程度しか保存できないのですが冷凍肉に比べて新鮮なため、国産肉とも競争できる輸入肉なのです。

 

このチルドをめぐつて年4回、畜産振興事業団の一室で売り渡す相手がたった一団体という奇妙な入札が行なわれていました。

 

このチルドを必ず落札できるのが、全国の専門小売店のほぼ8割に当たる19000店余りが加入した全国食肉事業協同組合連合会(全肉連)で、浅田氏はこの団体の副会長も務めていました。

 

そしてチルドは、浅田氏が会長になったこともある大阪府食肉事業協同組合連合会を通じ、同氏が理事長だった羽曳野市食肉事業協同組合など大阪府肉連傘下の8団体に流れ、ハンナン系列などの個別業者に届く仕組みになっていました。

 

それまでチルドは、全肉連、全国同和など5団体への割り当てでしたが、「利権化している」と国会で問題にされた78年8月から、辞退した関西主婦連合会を除く4団体の入札制度に切ち替わりました。

 

ところが、同じ年の10月、畜産振興事業団は、「全国の小売店を通じて消費者に買ってもらう」という理由で入札を専門小売店中心の全肉連一本に切り替えてしまいました。

 

これは全肉連の副会長を兼任していた浅田氏がやはり自身が専務理事を務める全国同和系列の食肉業者の利権を守ったということでもあります。

 

オイルショックが起きる少し前、農水省は牛肉不足で急騰した価格を沈静化させようと輸入枠を大幅に拡大していました。

 

 

そこにオイルショックが襲い、不況のあおりで需要は急減、輸入港にはコンテナに詰まった牛肉があふれ、腐って緑色に変色するという、いわゆるグリーンビーフ事件が起こりました。

 

 

処分に困った牛肉を畜産振興事業団が背負わされそうになったとき、引き取り手として名乗りを上げたのが、浅田氏でした。

 

 

浅田氏はこのとき、同事業団に貸しをつくった格好になりました。

 

 

国は、オイルショックをはさんで、牛肉の国内生産量の維持と価格安定のため、輸入肉の取り扱いを、畜産振興事業団に一手に握らせるようになりました。

 

 

このとき、前述したような輸入牛肉売り渡しの仕組みがほぼできあがったとされています。

 

 

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ハンナン事件浅田満 その1