浅田満氏の実弟は1965年頃、山口組山健組系浅田組を結成し金融業を営む株式会社昭栄を設立。
そして山口組と一和会との抗争事件を機に浅田組を解散、株式会社昭栄を昭栄興業に商号変更し、土木建築業を営むようになりました。
ちょうど田尻町は関西空港の開港に合わせ、りんくうタウンで町域が倍に拡大。
町は固定資産税収入が大幅増益となり、関空ブームに乗った開発計画が相次ぎました。
贈収賄事件の端緒になったのは、阪南土建と阪南市の土木建築業者・畑中組が田尻町に進出を計画していた大手スーパージャスコの店舗建設工事の下請け業者に入れるよう石谷町長に協力を求め、話し合ったことからこの場には泉佐野市内の土木建築業者・熊取谷工務店の熊取谷隆社長も同席。
話し合いの結果、石谷後援会事務局長でサエキの佐伯社長を介して依頼。
ジャスコの下請け工事参入に際し、石谷町長に協力を依頼してほしい旨を伝え、現金が入った封筒を渡しました。
また、ハンナングループと石谷町長との金銭の貸借関係が、石谷町長の各犯行の背景にあり、両者の関係は相当親密だったようです。
浅田氏は、昭栄興業の新社長に予定されていた石井富雄氏を石谷町長に紹介するため、大阪市内の料亭で町長と佐伯社長とを接待したことがあり、この時、石谷町長は町内の道路拡幅工事、幼稚園・保育所・給食センターの移転建設工事、町営プール、体育館の建設工事のことを漏らしたとされています。
また石谷町長は羽曳野市の昭栄興業事務所で、浅田氏に下水道工事、小・中学校コンピューター及び特別教室空調設備工事があることなどを話し、浅田氏は懇意にしている業者に受注させてもらえるよう依頼。
こうした情報漏洩が、競売入札妨害事件に発展していきました。
石谷町長がかねがね主張していた吉見ノ里駅前再開発計画では駅前に旧阪和銀行支店跡地とパチンコ店跡地とがあり、この土地のひとつパチンコ店跡地を「アークライト」が裁判所の競売で総額2億3000万円で落札しました。
預金保険機構の所有地になっていた阪和銀行支店跡地も、一般競争入札で泉南市の業者が購入。パチンコ店跡地は阪和銀行支店跡地のちょうど裏手で、価値を高めるには一体のものにする必要がありました。
そうしたことからこの相次ぐ買収は駅前再開発構想用地の先買いであり、一体のものだと皆が思っていたのです。
阪和銀行跡地を買収した業者は「頼まれて買った」と言っていたそうです。
そのパチンコ店跡地を買収した「アークライト」という金融会社の代表は前回記事にも書きました浅田満氏です。
町議会で浅田氏とは「親しい間柄ではないのか」と追及され関係を否定しませんでしたが、駅前再開発構想は石谷町長の逮捕で結局は頓挫し、現在は民間のマンションが建てられています。
現在の吉見ノ里周辺