ハンナン事件 浅田満 その9

浅田満氏の実弟は1965年頃、山口組山健組系浅田組を結成し金融業を営む株式会社昭栄を設立。

 

そして山口組と一和会との抗争事件を機に浅田組を解散、株式会社昭栄を昭栄興業に商号変更し、土木建築業を営むようになりました。

 

ちょうど田尻町は関西空港の開港に合わせ、りんくうタウンで町域が倍に拡大。

 

町は固定資産税収入が大幅増益となり、関空ブームに乗った開発計画が相次ぎました。

 

贈収賄事件の端緒になったのは、阪南土建と阪南市の土木建築業者・畑中組が田尻町に進出を計画していた大手スーパージャスコの店舗建設工事の下請け業者に入れるよう石谷町長に協力を求め、話し合ったことからこの場には泉佐野市内の土木建築業者・熊取谷工務店の熊取谷隆社長も同席。

 

話し合いの結果、石谷後援会事務局長でサエキの佐伯社長を介して依頼。

 

ジャスコの下請け工事参入に際し、石谷町長に協力を依頼してほしい旨を伝え、現金が入った封筒を渡しました。

 

また、ハンナングループと石谷町長との金銭の貸借関係が、石谷町長の各犯行の背景にあり、両者の関係は相当親密だったようです。

 

浅田氏は、昭栄興業の新社長に予定されていた石井富雄氏を石谷町長に紹介するため、大阪市内の料亭で町長と佐伯社長とを接待したことがあり、この時、石谷町長は町内の道路拡幅工事、幼稚園・保育所・給食センターの移転建設工事、町営プール、体育館の建設工事のことを漏らしたとされています。

 

また石谷町長は羽曳野市の昭栄興業事務所で、浅田氏に下水道工事、小・中学校コンピューター及び特別教室空調設備工事があることなどを話し、浅田氏は懇意にしている業者に受注させてもらえるよう依頼。

 

こうした情報漏洩が、競売入札妨害事件に発展していきました。

 

石谷町長がかねがね主張していた吉見ノ里駅前再開発計画では駅前に旧阪和銀行支店跡地とパチンコ店跡地とがあり、この土地のひとつパチンコ店跡地を「アークライト」が裁判所の競売で総額2億3000万円で落札しました。

 

預金保険機構の所有地になっていた阪和銀行支店跡地も、一般競争入札で泉南市の業者が購入。パチンコ店跡地は阪和銀行支店跡地のちょうど裏手で、価値を高めるには一体のものにする必要がありました。

 

そうしたことからこの相次ぐ買収は駅前再開発構想用地の先買いであり、一体のものだと皆が思っていたのです。

 

阪和銀行跡地を買収した業者は「頼まれて買った」と言っていたそうです。

 

そのパチンコ店跡地を買収した「アークライト」という金融会社の代表は前回記事にも書きました浅田満氏です。

 

町議会で浅田氏とは「親しい間柄ではないのか」と追及され関係を否定しませんでしたが、駅前再開発構想は石谷町長の逮捕で結局は頓挫し、現在は民間のマンションが建てられています。

 

 

現在の吉見ノ里周辺

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3

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ハンナン事件浅田満 その5

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ハンナン事件 浅田満 その7

ハンナン事件 浅田満 その8

ハンナン事件 浅田満 その8

この人事は松原食肉荷受けの大株主である浅田氏に配慮したものでした。

 

そうしないと話がまとまらないからです。

 

事実、古財環境農林水産部長と担当部局である同部流通対策室のメンバーが、たびたび浅田邸に足を運び協議を行なっていました。

 

太田知事の浅田邸訪問は東京の情報誌がこの会合の場で、浅田氏が府側に1000億円の補償金を要求したと書いたり、また「解決金として2~300億円出すよう言われた」との情報が飛び交いました。

 

同知事はこうした疑惑について「あくまで先生方との懇談の場所としてお借りしただけ。松原食肉市場公社の話はいっさいなかった」と否定。

 

ところが不可解なことに、浅田氏との会合後の同年9月の議会でこの松原食肉市場公社の再編処理案をめぐつて、前述したように民間業者に調査委託する予算1000万円が急遽計上され、翌2001年3月末までに報告書が作成されることになりました。

 

そして同年9月、議会で処理案が発表されたのです。

 

府の処理案の元になった民間調査会社の報告書は、「羽曳野市場からの1万頭の確保の実行可能性の検討は行なっていない」と認め、府の処理案で営業権保証として4億円を渡すことになっている浅田氏の会社「南大阪食肉畜産荷受」についても、「会社の価値から、営業権の対価性を算定することは難しい」と判断しており、府が4億円もの税金を浅田氏の会社に渡す合理性はどこにも見当たりませんでした。

 

こうしたことから、大阪府庁内外で批判の声が上がったのです。

 

昨年9月の府議会で、府がノック知事時代の97年ごろから浅田氏と処理案について協議を重ね、太田知事は知事選の最中に接触しその後も酒食を共にするなどしてきたことから、共産党議員に追及されたが、「懇談の場所を借りただけ」と、答弁のあげく、「別の質問をして下さい」と声を荒げました。

 

府はBSE (狂牛病)対策に追われた一般の酪農家の苦境をよそに松原食肉市場公社を解散し、後に設立する新会社にだけ3億4600万円のBSE対策費を投入することで予算編成作業に入ったのです。

 

ただ、さすがにそれには議会から反発の声が上がり撤回。

 

浅田氏が、かつて羽曳野市の部落解放同盟向野支部の副支部長を務めていたことは前の記事に書きましたが、解同幹部が理事長を務める全国同和への輸入肉の独占的割り当てを通じて輸入食肉業界に君臨し、果ては汚職事件を引き起こしたのは先述のとおりですが、それに加え当時の山口組の当代である渡辺芳則組長とは直に話ができる関係であり、また自民党畜産族の実力者・鈴木宗男氏とはじつ懇の間柄であったともいわれていました。

 

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ハンナン事件浅田満 その1

ハンナン事件浅田満 その2

ハンナン事件浅田満 その3

ハンナン事件浅田満 その4

ハンナン事件浅田満 その5

ハンナン事件浅田満 その6

ハンナン事件 浅田満 その7

ハンナン事件 浅田満 その7

これら「松原食肉荷受」「松原ミートプラント」を運営していたのが第三セクターの松原食肉市場公社で設立されたのは86年。

 

 

資本金は1億円で出資者は大阪府4450万円、業界4450万円、松原市1000万円、府総畜連100万円。

 

10人の役員のうち副知事を含む5人の府幹部が就任していました。

 

しかし、開設以来赤字続きでこれまでに100億円を超える補助金を投入したものの経営状態はいっこうに改善されず、府議会ではたびたび乱脈経営と税金の無駄遣いが指摘され経営破綻の状態に陥っていました。

 

 

そこで持ち上がったのが、同公社の再編処理問題でした。

 

 

横山ノック府政時代から府内部でその処理方法をめぐる協議が続けられ、太田府政になってからの補正予算では、同公社の破綻状態を調べるために、1000万円の調査費が計上されました。

 

 

その調査結果を受けて、大阪府は府議会に処理案を提示しました。

 

 

その処理案の柱は、松原食肉市場公社は廃止し、「松原食肉荷受」を核として松原、羽曳野両市場の機能を一本化。市場開設・と畜解体・卸売を行なう完全民営の新会社を設立、府は同公社へのこれまでの貸付金14億円を放棄、完全民営化の新会社に府は29億円の補助金を出し新会社の運営資金などに無利子で25億円貸し付ける・・

などというもので、府の負担は総額68億円にも上る案でした。

 

 

またこの処理案は、同公社は購入時20億円を投じた市場用地を府に寄付し、府はこの土地を公的支援の一環として、無償で新会社に貸し出すといったまさに至れりつくせりの案でした。

 

 

この異常なほどの優遇ぶりは処理案の中身を検討すると、浅田氏が代表取締役を務めている南大阪食肉畜産荷受が問題視され、府の処理案では新会社の採算ラインは年3万頭分の集荷が前提条件になっているうち、1万頭は羽曳野市場から移行。

 

 

このため羽曳野市場の荷受をしている南大阪食肉畜産荷受は解散し、年1万頭の牛の営業権を新会社に譲る代わりに、新会社への府の補助金から営業権保証として4億円を受け取る、というものです。

 

 

ところが、羽曳野市場の集荷数は、85年の4万9000頭を最大に年々減少。

 

 

2000年度の実繚は、1万3500頭でした。

 

 

しかも処理案では、羽曳野市立と畜場は、今後も1万頭以上の食肉業者が自ら販売する生体をと畜・解体し持ち帰るいわゆる自家割と畜場として存続することになっており、現実に移行できるのは、1万頭にはほど遠い3500頭にすぎなかったのです。

 

 

明らかにおかしな処理案であり、浅田氏へのあからさまな営業権保証を前提にした案でした。

 

なぜかというとそれは太田知事と浅田氏との驚くべき関係にありました。

 

 

横山ノック前知事がセクハラ事件で辞職した後に行なわれた2000年2月の知事速挙の最中に浅田氏と面談。

 

 

ついで、浅田氏がクニマチをしている大相撲の八角(元横綱・北勝海)部屋の力士激励会に出席、そして7月8日には羽曳野市にある浅田氏の自宅に招かれ接待を受けました。

 

さらに、2001年の大阪府食肉事業協同組合連合会の新年互例会に出席し浅田氏と会い2000年10月には浅田氏の親族の結婚式に、太田知事の夫が招待されて出席していました。

 

結婚式は故中川一郎農水大臣の元秘書で当時自民党の総務局長だった鈴木宗男・前衆院議会運営委員長が仲人をしました。

 

 

太田知事は夫の結婚式出席については

「関係業者から私に依頼があったが断わった。その直後、夫に直接依頼があり夫は事情がよくわからないまま私の代理で出席しなければならないと思い承諾した」

と弁明。

 

 

また浅田邸では、浅田氏の一の子分と言われていた、前述の自民党・岡田進元府議会議長をはじめ、北浜正輝・同元議長、杉本光伸・同元議長、橋本昇治・同元議長、北川一成府議、原田憲治府議の6人の自民党府議が、府側からは太田知事をはじめ、梶本徳彦副知事、古財正三・環境農林水産部長、神尾雅也・知事公室長、桝谷真一秘書課長が参加し、浅田氏から酒食のもてなしを受けていました。

 

 

巨額の赤字を抱えた松原食肉市場公社の処理問題は、ノック前知事時代からの懸案事項で、ノック知事の側近中の側近として知られていた古財知事審議官が、2期目のノック府政の人事異動で、格下げとなる環境農林水産部長に就任、この人事は松庶食肉市場公社の処理の一環ともいわれていました。

 

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ハンナン事件浅田満 その1

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ハンナン事件浅田満 その5

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