地上げ屋 取り纏め屋

地上げ屋 立ち退き屋とは・・

アパート、マンション、商店ビルの老朽化に伴い、建て替え利益をはかる者からの依頼を受け、居住者・営業者の移転の同意を取りまとめる行為をいいます。

その手段としてはガス、電気、水道を止める、空室になった部分を強制的に放り壊す、暴力団員等を動員して営業を妨害する、隣室で騒ぎ立てるなど、あらゆる暴力的手段が取られます。
今は違いますが、昔(昭和時代)の不動産物件等を競落する競売屋などは、民事介入暴力に加えられていました。

日弁連の定義によると、「民事執行事件、倒産事件、債権取立事件その他の民事紛争事件において、当事者または当事者代理人もしくは利害関係人が他の事件関係人に対して行使する暴行、脅迫その他の迷惑行為および暴行、脅迫、迷惑行為の行使を示唆または暗示する一切の言動並びに社会通念上、権利の行使または実現のための限度を越える一切の不相当な行為」

が民事介入暴力とされています。
これは暴力団に限らず一般人でも暴行、脅迫まがいの言動をとれば、立派に民事介入暴力となり得ますが「暴行、脅迫、迷惑行為」と、その示唆、暗示に言動を限定しているため、暴力団の〝シノギ〟の実態にあてはまらない部分がありました。

暴力団だからこそ「暴力」を使わなくても収益が上がるのです。

その経済活動は依頼者にはもちろん、その交渉相手にも特段の不快感を与えない場合があり、例えばフィクサー業、取りまとめ、つなぎ役などで、特に言動を発しなくても単に暴力団であるということ自体で役目を完遂するのです。

相手がその暴力団をすでに暴力団であると知っているか、会った時に知れば目的を達します。

この点、警察庁の民事介入暴力の定義は、暴力団の資金獲得活動の態様を示すことに視点を置いていました。

「暴力団の威嚇力を背景にこれを利用し、一般市民の日常生活または経済取引について司法的救済が十分に機能していない面につけ込み、民事上の権利者や一方の当事者、関係者の形をとって介入、関与するもの」

という警察庁定義は、潜在的な「暴力団の威嚇力」を問題としています。

かつて東京地検が平和相銀問題解明の突破口としている神戸市の山林、通称「屏風(びょうぶ)」売買事件ひとつを取っても、暴力団経済の実態がすくいきれていませんでした。

これはは昭和57年11月、平和相銀系の太平洋クラブが所有する屏風の土地約196万平方メートルを大阪の建設請負業「広洋」ら2社に60億円で売却した際、平和相銀が評価額約41億円のこの土地だけを担保に「広洋」ら2社に計88億円を融資したという事件でした。

これにからんで、売買となんら関係のない大野伸幸(逮捕)経営の「新日興開発」に仲介手数料の形で太平洋クラブが計3億6000万円を払ったことなども事件化、平和相銀前監査役、伊坂重昭ら幹部、関係者の逮捕につながり、事件に右翼、暴力団が暗躍、巨額を得たことが分かりました。

伊坂監査役は東京の有力な右翼に土地の買い手探しを依頼、右翼は京都最大の暴力団、会津小鉄系高坂組組長・高坂貞夫に話をつなぎ、高坂が「広洋」ら2社に太平洋クラブを引き合わせたという経緯でした。

その謝礼が右翼に1億2000万円、高坂に4億円が支払われていたのです。

高坂は不動産業も営んでいましたが、単に買い手を仲介したにすぎません。

たとえ正当な取引業者にしろ、手数料は売買価格60億円の3%である1億8000千万円が上限のはずです。

これはどういうことか・・

先ほどの警察庁定義にある「司法的救済が十分に機能していない面につけ込」んだわけではなく、まして山林取引に強いて「介入」したわけでもありません。

きわめて平穏にフィクサー役をつとめ4億円という大金を一挙に手中にしたのです。

高坂は平和相銀事件では、たまたま伊坂の特別背任容疑の共犯として逮捕されましたが、高額の謝礼を受け取っただけでは今のような暴排条例がなかった時代、摘発は難しかったのです。

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青い目から見た日本の不良債権問題 その2

東京都港区赤坂の飲食店街にある商業ビルを賃借人や利用状況の調査のため二人の男性が訪れ外に出ようとしたところ、ビルを占有していた暴力団員風の男たちに取り囲まれ、暴行を加えられました。


二人の日本人調査員を雇用していたのは、丸の内にオフィスを構える米系リスクマネジメント会社でした。

日本の金融機関が外資系の投資機関に不良債権を数百億、数千億円単位で一括売却するバルクセ ールが数年前から急増、同社はこうした不良債権の担保不動産物件についての調査を請け負うケースが多くなってきていました。

同社の代表者が言うには、日本特有の不動産ビジネスに根を張った「占有」や「競売妨害」などヤミ社会の住人たちの存在は、外資にとってすでに「投資リスク要因」の一つとして認知されているとのことでした。

外資と日本の銀行との間で債権の売買契約書を作成する際には、保証条項の微妙な文言をめぐって丁々発止の駆け引きが行われました。

外資側は担保不動産に暴力団は関係していない・・という保証条項を入れるよう要求するのですが、これに対して売り手の銀行側はその言葉の前に

「当方の知る限り」といった文言を追加する・・などでした。

そんな状況の中、債権の回収や管理業務を行う「サーピサー」が誕生しました。

日本では債権回収業務は弁護士の専門分野でしたが、平成11年2月にサーピサー法が施行され、民間企業にも回収の代行ができるようになりました。

そして整理回収機構を含め、さまざまな金融機関系のサービサーが認可されました。

ノンバンクなど債権回収業務のノウハウを蓄積した業者が、虎視眈々と不良債権ビジネスに新たな活路を見いだそうとし、「かつて銀行の花形は融資部門だったが、今は回収部門だ」と言われたのもこの時期です。

不動産ビジネスに侵食しては食い尽くそうとするヤミ社会と、それを許したまま不良債権処理に右往左往する金融機関。

負の遺産を解き放つために、後に「失われた十年」と呼ばれるほど膨大な月日を要しました。

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青い目から見た日本の不良債権問題 その1

『日本の暴力団は不良債権を買う米国投資家に狙いをつけた』

 

フィナンシャル・タイムズはこんな見出しで日本の不良債権問題を報じました。

 

その一例として、外資系銀行の支社長宅近くで起きた不審火があり、この支社長は不審火騒ぎの直後に交代しましたが、これをきっかけに日本法人代表の自宅公表を控えるところが多くなりました。

 

「数千億の金ならすぐに用意できる。できるだけ多くの債権を買いたいので、まとめて用意してほしい」

 

外資系の不動産買い付け担当者が、日本の大手都市銀行を中心に訪ね歩く姿が目立つようになったのは、平成9年3月ごろからだったといわれ、銀行やノンバンクの不良債権問題が脚光を浴び、不良債権の圧縮が待ったなしの課題となるなか、先を競うように米国の投資銀行系などの投資家が銀行を回りました。

 

1990年代初めに不良債権問題が深刻化した米国でも、こうした投資集団は「ハゲタカファンド」といって不良債権を買い漁っていました。

 

彼らの狙いは不良債権を低価格で買い取り、転売や債権回収で利益を得ることで、2割ほどの利ざやを見込むため、時には簿価のわずか数%で購入。

 

日本の金融機関側の担当者が、提示された額を見てあまりの買いたたきぶりに絶句したといいます。

 

一時は大手ヘッジファンドの巨額損失などを背景に本国からの買い指令がトーンダウンしていましたが、当時、地方銀行や信用金庫の不良債権処理が注目されはじめ、外資の投資意欲は引き続き高い水準で推移していました。

 

東京池袋の自社ビルに本社を置く不動産会社のオーナー社長は、昭和60年から数回に分けて、ビルなどを担保に大手信託銀行から計約21億円を借り入れました。

 

バブル後は資金繰りに行き詰まり、12億円ほどが返済できずに残っていました。

 

銀行と話し合い、平成10年5月から月200万円ずつ返済していくことで合意しましたが、ある日、銀行側から急に「債権を外資系投資ファンドに売却する」と言われたのです。

 

「裏切られた。200万円ずつの返済計画が決まったとき、銀行側は競売にかけたり、債権を売ったりはしない・・と約束していた。債権処理を相当あせっているようだった」

 

しかし、外資は月200万円でも十分採算が取れ、利益になるくらいの値段で買い叩いていたのです。

 

ある債権回収業者は「暴力団が担保不動産に賃借権を設定したり、不法に占有して実力で回収業務を妨害したりするのは日本独自の裏ビジネス。外資には示談金や和解金を払って解決する観念がないので、戸惑うのは無理もないだろう」

 

米国に本拠を置く大手不動産仲介会社の日本法人社長は「日米の情報開示に対する考え方の相違が、すれ違いの一要因でもある」と指摘し、「日本の場合は金融機関、特にノンバンクが誰にいくら貸しているのか必ずしも明確ではない。担保物件によっては、登記簿などに現れない部分があるのも否定できない」と語りました。

 

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