許永中と石橋産業 その18 手形を一刻も早く引き上げたい

 

そこで田中弁護士が「こんな裏書類を世間の人に見せるわけにはいかんやろ。ワシがこの書類を預かっておくので心配いらんやろ」

と石橋社長と許永中に言いました。

 

この合意書は、事実上石橋産業を100億円で許永中に売る内容でした。

 

そうした疑問を抱きながらも、許永中を抑えるために田中弁護士がそう言っているのだろうと思った林社長は、いわれるがままに合意書に立会印を押した。

 

それが、後々石橋産業を窓口にした新井組株や当時許永中の影響下にあった日本レース株、あるいは若築建設株などの仕手戦の一任勘定につながっていくとは誰も想像できませんでした。

 

林社長曰く「何としても石橋の85億円を取り戻したかったし、手形約180億円分を一刻も早く引き上げたいという、焦り」 から来たものでした。

 

97年2月8日、大阪の全日空ホテルに元大阪高検検事長の富田正典弁護士の音頭取りで関係弁護士らが集まりました。

 

ここで、富田弁護士が

「石橋さんが許永中に騙されて被害にあっている」とあいさつし、林社長が経過を報告しました。

 

これに対して、許永中と一任勘定の契約を交わした石橋産業の代理人弁護士が

「100億の合意書があり、それに基づいた一任勘定の合意書もあるので立件は無理」

と言いましたが他の弁護士が、

「その書類があるからこそ詐欺なんですよ」と反論。

 

石橋産業の代理人として一任勘定の交渉にあたっていたこの弁護士は、「ちょっともらいすぎだよね」と、許永中から相当額の金品の提供を受けていたことを周囲に漏らしていたこともありました。

 

この時、すでに田中弁護士が「全部保管している」と言明していた1120万株の新井組株は、同弁護士の手元にもキョートファイナンス社にもなく、その大半が売りに出され、許永中が100億円以上の売却益を手にしていました。

 

石橋産業は、関連財団が所有する「昭和化学工業」株をはじめ、9銘柄の約285万5000株を、2月末を期限に預けていました。

ところが3月に入っても一切返却されず、うち20万株は同月中旬ころ大阪市内の金融業者に持ち込まれ、これを担保に許永中は約2億1000万円の融資を受けていました。

 

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さらに許永中はこの9銘柄の株を京都・都証券に担保提供し、

 

石橋産業名義で96年12月5日から翌97年2月4日までの間に総数357万7500株の新井組株の株取引をおこないました。

 

ところが、この取引で多額の担保不足が発生。

 

このため、石橋産業は名義上の責任をとらざるをえなくなり、都証券に対して、信用取引された新井組株を時価で引き取ることになりました。

 

しかも、この株357万7500株のうち196万8200株は、許永中と石橋産業の売買契約に明記されていた新井組株の一部だったことが判明。

 

許永中が売買契約に反して市場で処分していることが判明しました。

 

こうして石橋産業側と許永中との対立は決定的なものになり、同年3月、林社長は新井組株を譲渡するという約束が履行されなかったとして、キョートファイナンス社の社長を退任しました。

 

同年6月には勝手に株を処分したとして許永中を横領容疑で東京地検に告訴しました。

 

この告訴を受けて東京地検が関係者から事情聴取するなどしていた矢先の10月上旬、許永中は渡航先の韓国で姿を消しました。

 

このため東京地検は、さきの横領容疑だけではなく約203億円の手形のすべてを捜査の対象にして11月17日、大阪の許永中自宅や拠点ビルなど約20ヵ所を一斉に家宅捜索。

 

一方、石橋産業裏書きのロイヤル社の額面総額約203億円の手形は179億円分キョート社に差し入れられ、残り24億円は田中弁護士が保管していることになっていました。

 

新井組株は引き渡されておらず、「取り立てしない」という約束だったにもかかわらず、この24億円分の株について97年2月許永中が突然、「取り立てるので24億円支払え」と通告。

 

驚いた石橋産業側は、保管しているはずの田中弁護士に再三その所在を尋ねたが回答は一切ありませんでした。

 

このため石橋産業側は10月、田中弁護士を相手どって24億円の手形返還訴訟を大阪地裁に起こしました。

 

田中弁護士がその24億円の手形返還を申し出たのは、石橋産業側から返還要求が出てから8か月たった11月中旬のことで、東京地検の強制捜査の3日前でした。

 

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許永中と石橋産業 その15

林社長がキョート・ファイナンスの社長に就任すした96年10月下旬、林社長は帝国ホテル東京の許永中事務所に呼び出されました。

 

そこに許永中と田中弁護士がいました。

 

2人は林社長の前で

「ゼニ急がなアカンで。

サンロイヤル(兵庫県のゴルフ場)のこと含めて大ぶんつまってきとるしな」

「分かってまんがな。石橋さんの会社の財務調べたらほんまにゼニないようやし、さっぱりですワ」

 

資金繰りが詰まっていることを言い出しました。

 

 

田中弁護士が、「山段が今度はきっちり落とせるような段取りの手形の金額にして日付もはっきりさせてくれ言うとった」と話をしたのを受け、許永中が「理事長ですか、許永中です」と、京都の山段芳春氏に電話。

 

「こうなったらワシが金作って手形落とすようにしますワ」などと山段氏に釈明。

 

 

そうして、林社長に「聞いての通りや」と言って、またまた石橋産業裏書きのロイヤル社の手形の切り替えを要求しました。

 

林社長は言われるがままに、手形を3通、額面15億円を2枚、149億1750万円に書き換えたものに変更。

 

以前田中森一弁護士事務所で振り出したした2通の手形と交換しました。

 

その林社長がキョートファイナンスの社長に就任したのは、10月28日、京都グランドホテルで開かれた同社の臨時役員会でした。

 

出席者は、キョート社側は山段会長、湊社長、川辺専務、田中治巳専務、安川良子女史、ロイヤル社側は林社長ら3人。

 

その他、田中森一、吉永透(元京都地検検事正) など5人の弁護士、そして許被告の側近の一人、葡萄亭ワインセラー尾崎稔取締役も出席していました。

 

役員会の後、出席した弁護士の一人から当時のキョート社の唯一の資産だった新井組株の行方について質問が出ました。

 

つづく

 

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田中弁護士から林社長に株の占有率が30%を超える部分である135万株についてロイヤル社とは違う別の受け皿会社をさがす必要があること、それが決まるまでの間、先に振り出したロイヤル社の2通の手形の一つ、72億4950万円の手形を、48億3300万円と24億1650万円の2通に分けるよう指示されました。

 

 

そして、そのうちの24億1650万円の手形については、「適当な受け皿会社が決まるまでの間、ワシが預かるようにするから、いずれにしてもその預かり証もワシが発行するから」と言ってきました。

 

さきに交わした新井組株とロイヤル社振り出しの額面総額約203億円交換の協定書は、書き換える必要があるとして、それも田中弁護士が預かるということになりました。

 

96年7月14日、ロイヤル社が新井組株985万株を所有したという大量保有届け出書が関東財務局に提出されました。

 

もちろん形式だけのことで、石橋産業側には新井組株は渡っていません。

 

その直後の7月下旬から雲行きがおかしくなってきました。

 

さきのとりあえず若築建設から借りて工面した60億円の返済期日が月末に迫ったことで、許永中が9月末まで2か月間の延期を申し出てきたのです。

 

さらに許永中は「田中先生がこれ持ってきてな、どうしても金が急にいるといわれとるんや。先生が金作らないかん相手言うたら宅見の頭のコトや」と言って、銀座の有名画廊がヨーロッパのオークションで落としたという、「40億円ぐらいはした」というポール・セザンヌの静物画を見せ、石橋産業が持っていた新井組株150万株との交換を持ちかけてきました。

 

 

当時、新井組株は1800円前後で総額おおよそ27億円でした。

 

 

この取引に応じることにしたものの、後日石橋産業側がこの絵画を鑑定したところ、時価2000万~3000万円程度のものだといわれました。

 

 

8月に入ると林社長は新井組株を取得する対価として振り出したロイヤル社の約束手形の書き換えを要求されました。

 

ちょうどその時期、京都信金で役員の使い込み事件や内紛劇があり、資金調達ができず銀行団に説明するのに困るというものでした。

 

林社長は振り出していた2通の手形の支払期日は白地にしていたところから、疑問をもちつつも応じる事にしました。

 

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