桃源社 その3 懲りない面々が居座るビル

佐々木社長は

「ここまで暴力団がのさばるようになったのは、バブル期に銀行が垂れ流した金が最大の原因。フロント企業への直接融資に加え、マネーロンダリングされた金が連中の懐に入り、新たなブラックマネーを生んでいる。もう取り返しがつかない状況になっている」

とも述べました。

バブルマネーで焼け太りした暴力団が、カモを見つけて牙をむく・・という構図は、容易に進まない不良債権処理という日本経済を覆った呪縛とも言えます。

東京都渋谷区の「キラー通り」と呼ばれる街の一角にとあるビルがありました。

バブル全盛期からこのビルがたどってきた変遷は、そのまま銀行の不良債権処理に暴力団の存在が大きな妨げとなってきたひな形といえるでしょう。

ビルが建てられたのは昭和61年6月。

ここに本社を置いた「フォンテンヌブロウ」という会社が最初の所有者で、

日本長期信用銀行と長銀系ノンバンク「長銀インターナショナルリース」が

計60億円以上の買収資金などを同社に融資したとされています。

 

不動産業に進出したフォンテンヌブロウは、このほか都内のオフィスビルや静岡県熱海市のホテルなどを次々と買収しており、その資金を支えたのも長銀系ノンバンクでした。

しかし、バブルがはじけ、フォンテンヌブロウの経営は行き詰まり、平成3年11月、約5000億円の負債を抱えて倒産し、同時に長銀系の融資は全額不良債権化しました。

東京地裁は翌月、土地と建物の競売開始を決定しましたが、その直前に山口組系暴力団幹部が同ビルに賃借権を設定したのです。

 

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これと同時に、組幹部と関係の深い不動産会社が債権者として根抵当権を仮登記し、競売は不調に終わりました。

 

平成8年秋、このビルに「あさぎり高原共済牧場」という看板が掲げられるようになりました。

「3年後に7%の金利をつけて返す」

と称して和牛への預託金を募る「和牛預託商法」の会社でした。

社長は当時、「月100万円の家賃を支払っている」と話し、賃貸料の支払先はビルの占有者である不動産会社でした。

ビルの転貸によって、多額の金が賃貸料として不動産会社を通じて暴力団に流れ込んでいたのです。
占有にかかわった組幹部と不動産会社の社長は平成11年6月、別の不動産取引にからむ恐喝容疑で警視庁に逮捕され、結局ビルは競売を経て所有者が変わりようやく落ち着きを取り戻したのです。

 

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桃源社 その1 ビルの不法占拠

 

桃源社 その2 ビルの短期賃借権