許永中のブレーン 岡本醇蔵 その4

前回からの続きです

「イトマンのこと、それから三豊恒産のことがなかったら、これでだいたい仕事終わろうと思うとった。(中略)今、日本の上場会社って暖簾がなくなってると思うんや。


いわゆる古い伝統が消えて、バブルの崩壊後はアメリカ式っていうか、会社もひとつの商品になって、カネ儲けの組織そのものやがな。


そやから、ここでちょっと頑張って、上場してる会社が何もうらやましいわけやないけど、いっぺ ん上場会社を持ちたいな思うてる。
それを待った時点で、そこに関わる人が幸せになる仕事を二つほどやりたい。


ワシの場合、衣食住の衣は興味ないから、食と住のほうのな。


ワシにいままでついて来たり、大事にしてくれた人で、この業界でもっと貢献せないかんし、もっと頑張れると思っとる人にその会社に座ってもろうてな。


そのため執行猶予のこの4年問は、はいずり回ろ思うとる。事件起こさずに。
そんなこっちゃ。ワシ、人好きやから」


「昔と違うて、今はともかく経済力のある人がえろうなっとる。
資本主義経済やから、しゃあないわ。


浪花節いっとれん。まあ、ワシもほんまいろんな親分とつきおうてきたけど、いろんな人がおるし、ヤクザとしてやなく、男として好きやなあ思った人もぎょうさんおる。


波谷守之さんもそう。

一緒にマージャンやってて、ジャンケンすることになって、ワシが『あんた、でけへんがな』(指詰めのため、パー出してもチョキになってしまう)いうたら、側近がワシの息の根止めるくらいの勢いで顔色変えて飛んで来たが、この人は『岡本は別格いうとるやろが』 いうて。
そんな器量の人もおる。
 


ヤクザ、ヤクザっていうけど、早ういうたら、汚名着る割に身につけるもんはほんま少ない。


政財界を問わず、ほんまきれいごとでカネ儲けた奴がいちばん悪いことしてるし、身についとる。


ヤクザいう組織ほど一般世間から嫌われて、いちばん得るものの少ないものはない、思うわな」


「そやから、すばらしい大学出て、そこ出るぐらいだから職求める時から、そんなことできる(甘い汁を吸える)立場になるんだということで行ってんやから、最初から。


逆に言うたら、ヤクザも変わらんと。


そういう悪徳官僚のような東のええヤクザが今後増えていくと思うわ。
そんな頭のええヤクザは皆、地下に潜ってしまいよる。


今のようないわゆるオープンにされたヤクザ、ワシから言うたらたいしたことないヤクザに代わって、そういう悪知恵働く奴が出てくる。これは難儀や」


「ヤクザはその世界におるんやから、それはそれで認めてな。ヤクザはヤクザとして扱うたらいいんや。


『俺は堅気やぞ。堅気の俺に何するんや』と。


そう、はっきり言うてあげへんから、対等につき合えないんや。
ある意味では、『堅気の分野にも入って来たらええがな』みたいな素振りして。


そない言うてるから、仕切りができてないから、ヤクザに食い込まれたんとちゃうのんか。


『これ一緒にやりましょな』と、遠慮して言うとるから、ヤクザのほうが我が強いからぎょうさん食われるだけや。


仕切りちゃんとできとったら、『お前、ヤクザやから、仕事は俺がするから口出すな。ただ、他のヤクザ来たら、俺の仕事邪魔しよるから、俺の見えんとこでそれちゃんと話しといてくれよ。それがお前の立場やで』と。


『ただ俺の注文で動いたら堅気に使われるヤクザになっちまうやろ。それぐらい、ちょっとかしこなって、言われんでも、ここヤクザ狙うとるなと思ったら、警察にマークされないでうまくやってな』と。


ワシの場合、それをはっきり言うから対等につき合えるわけや。
 


企業舎弟いうたら、そもそもは倒産した社長が金融業者に交渉に行って、そこで『この仕事まだできるんやったら、もっとやっていきな』と。


ところが、『後にまだ借金残っとるから、仕事できませんねん』
『そな、ワシがそっち裁いとるから安心して仕事しいな』と。
『それで儲けたら、うちに返しや』と。

それで戻し済んでも、まだ奉公するようなことするから。


それが企業舎弟の始まりや。ヤクザに采配された堅気、意味でもあるし、堅気でヤクザをカネで使うという意味でもある。


ヤクザと一緒に(仕事)するんなら、ヤクザになればええがな。
そんなん、ヤクザに対しても堅気に対しても失礼な話や。


主体性のない話や。ワシらの周りにも企業舎弟おるけど、また、それを自負してる者がおるから不思議や思うわ」

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許永中のブレーン 岡本醇蔵 その2

前回からの続きです

「許永中と初めて出会ったんは学生時代や。彼は大阪工大で、学年でワシより四つ、歳で五つ下かな。あれ、大阪工大の柔道部やったんや。

本当、強かったで。大学は中退するけどな。

当時、ワシは梅田のあるところを地盤にしてる組で、パチンコ屋のお守りしてたんやけど、そこでパチプロ集めて稼がせてピンはねしとったのがあいつや。

ほやけど、当時は顔知っとるだけでつき合いはなかった。生きざまがちゃうからな」


「ワシら、パチプロみたいな相手するわけあらへん。パチンコ屋からカネ取ろと思ったら、店員呼んで

『コラ、鍵貸せ!』

いうて、鍵外して奥に積んどる玉持って、パーツと換金して行きやええんやから。パチンコ屋で打って稼がへん」


「ワシがアーデルホームにいた頃、いっぺんワシのとこへな、許永中は部落民やないけど、韓国人も差別されてた時やから、まあ早ういうたら無理難題をいうてきた。

許永中は大阪では元ヤクザで、部落の支部長やってたある人と仲良くしててな。

ワシがアーデルホームにおるん知らんでや。

それでワシが

『何が部落や!』

いうたら、許永中は

『えらいすいません。なかったことにしておくんなはれ』

いうんで、

『お前、何しに来たんや』と。

まあ、同じ新地でいつも飲んどるし、ほな、皆で一緒に飲みに行ったらええがなと。


彼ちょっとその時、経済的にしんどい時やった。


集金したら右に出るもんがおらんあるヤクザに6、7億円借金してて面倒やった。


それで、

『ワシの手形使うたらええわ』って。


その代わり、許は大淀建設を

『それだけの値打ちないけど引き取ってください』と。


『いらんがな、そんなもの』

いうたら、

『それじゃ、ワシ(の立場)が・・』
いうから、

『ほんなら、置いとけや』と」


「許が大きいなったのは日本レースの事件や。

人はいろんなこというけど、許永中が経済界でいちばん崇拝しとったのが東邦生命の太田清蔵さんや。


この人にほんまにここ一番の時に助けてもろたんや。

この時、助けたのはワシやけど、ほんまの意味でナニしたんは太田さんやから」


「あれは最初、太田清蔵が許永中に依頼し、困り果ててワシのとこに相談に来たんや。

三洋興産いうて、当時、東京ではいちばんの仕手筋に53%も株持たれて、経営権の交代請求出してきた。

乗っ取りやんか。

当時日本レース社長だった山野愛子に何とかしてくれいわれても、総資産が250億円 で借り入れ金が17億円しかないんじゃ、東京のボンクラが目先効かして当然や。


許永中が

『誰も助けようおまへんやろ』

いうから、

『お前、考えてみいや。処女やから三洋興産は来とんねん。これがズブズブやったら手ださんやろ。手形切らんかい。200億円切れ』と。


すると、『何で切りまんねん』いうから、

『お前、ヒューマンソサエイティーいう宗教団体あるやろ。 ここと三井建設がフィフティー、フィフティーで神戸に100万坪の山持っとる。あれええやないか。あれ買わんかい』と。」


「保釈中の失踪は本人なりの考えでやってることやろ。イトマン事件は、ワシは許は執行猶予取れる流れ違うかなと思うとる。

絵画は、あれ売買とちゃうからな。

本来、許永中個人の借り入れのもんやから。
あれ、500億円で許永中がイトマンに絵画を売っとったら問題やけど。
ただ、イトマンが売ったことにしてくれと頼んで、後で売買のかたちにしただけのことやんか。

ほやから、横領したことにならへんから。
ただ借りたカネ返さんだけのことやから。
そんなことで有罪にしたら、カネ返せん日本人は皆、バクられんといかん」


「イトマン裁判の見通しがついたから、本人の持ち前の気性で前向いて走ったやろうけど、今回の石橋産業の件な、これとかな、偉い人とのつき合いを大事にして、これはやっぱり本人のこっちゃから、絶対にそこらワシらの持ち合わせしているもんより遥かに器量持っとるから、警察にしゃべることないがな。


ところが、やっぱり日本を動かしているような人とのつき合いも今日あるわけだから、許永中本人から身を引くと。


自分が言わなくても、偉い先生は警察の厳しい聴取に対して案外脆うて言うてまうかも知れん。


自分が捕まったら、その参考人として先生が引っ張られる。
やっぱり日本の権力もそんなバカじゃないからな。


そういう場面を作ることが嫌やから身を隠したいうのが本人の本心やろ。
ワシは仕事手掛けたら最後までやる。


彼の場合は仕事一つ網かけて、カネがやってきたら後は皆、好きにしたらええと。


本人が聞いたら気悪くするけど、ワシは自分は事業家やと思うとるし、許は虚業家いうたら怒りよるけど、実業と虚業の違いや。


一般の人が分かるようにいうたらな。

本当は全然違うけどな。本人にしたら、

『そうせんと数多くの仕事、大きな仕事ができんでしょう』と。

いつもワシにそう言うとった。


それはお前の考えやと。


ワシはやっばり仕事いうのは一度手掛けたら最後までやって、ゼロから百にして、それが損するか得するかは問題外で、要は仕事いうのはそういう事やろと。


スタート切って、向こう岸に着いたんが仕事やと。
これは自ら持った人生観の違いやからな。
そやから一緒に許永中と仕事したことない。


それでも互いに無理してカネを動かさんならんことしとったから、名前連ねて手形裏書きして。
そんな協力したぐらいや」 


「殺しても死ぬ男と違う。細心のもん持ってるから、ワシの何倍も。ワシも一般人よりは細かいこと気つけるけど、ワシかて面倒臭いぐらい細心。

たいしたもんや。だから、時効の7年経った時、姿見せるかもな」

つづく

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許永中事件その5 新日本建設と新日本育成会

この大末建設の河内長野市加賀田の所有面積は120ヘクタールで、計画書面積より10ヘクタール少なかったのです。

そのため大末建設所有地周辺をイトマン伊藤常務の関係会社であるスポーツマンクラブが、この年の秋に買収をすすめました。

しかしこうしたゴルフ場計画は当時、市民にまったく知らされていませんでした。

住民が知ったのは府と市へ計画が持ち込まれてから約1年後のことでした。

このときゴルフ場は許可の方向で動いていましたが、予定地の山林は新興の住宅団地に隣接していました。

住民はゴルフ場建設計画を知るや、反対運動にたちあがりました。

このゴルフ場反対運動は全国的にゴルフ場の農薬汚染がクローズアップされたこともありマスコミにも取り上げられ、ゴルフ場はとうとう計画中止に追い込まれました。

計画取り下げは、ウイングゴルフクラブの代理人として大末建設の社員が市を訪れて行われました。

ゴルフ場計画は翌12月市議会で東市長が「私の任期中にはゴルフ場計画は認めない」と言明。

もちろん当時、ゴルフ場の開発会社の経営主体がイトマン事件の主人公とは思いもよりませんでした。

 

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このウイングゴルフクラブは、88年11月、大阪府吹田市に設立されました。

そして伊藤元常務がKBS京都の取締役に就任する89年6月28日の前日、27日に名称を「ケー・ビー・エス・ゴルフ開発」に変更されました。

同時に後でイトマン事件で逮捕されることになる許永中のグループの一員が役員として入るということもありました。

許永中グループがねらったのは河内長野市だけではなく、お隣りの大阪狭山市で88年前後から高層マンション建設の許可取り業者として暗躍しました。

この業者は、許永中グループの中核企業新日本建設で、大阪狭山市内のライオンズマンションなど5か所で、大手業者と共同開発者になったり、許可取り業者の役割を果たしたりしました。

たとえば今熊3丁目で大倉建設と14階建て約370戸のマンションを計画したときは工事をするはずの大倉建設は顔を見せず、新日本建設が市との交渉や地元住民への説明役をしました。

しかしマンションヘの進入道路で生活環境が破壊されたり、歴史的な景観が台無しにされる恐れが出たため地元住民が強く反発しました。

同じく今熊7丁目にあった産業廃棄物埋め立て跡地に計画された13階建て270戸の分譲マンション建設でも同じような役割を果たし、こちらの土地は約10年前に埋め立てられた深さ10~20メートル、20万立方メートルの廃棄物の上に建てるという無謀なものでした。

この産廃跡地は大手のクボタハウスの所有地で、分譲マンションも同社が計画したものでした。

しかし、場所が場所だっただけに、通常の手段で建設許可をとるのは、無理とみて代理人として開発申請者になったのは和高エンタープライズという業者でした。

同社の谷社長は、許永中が75年当時、顧問をしていたといわれている行動右翼「新日本育成会」の理事長で、大阪市内では住民を威圧して地上げも手がけていました。

新日本育成会の谷辺会長は、許永中グループ企業の役員をしているという関係でした。

産廃跡地の開発で和高エンタープライズの側に立って、「どうせ許可されるのだから反対してもムダ」と住民を押さえにかかったのが当時周辺地域に住み、自治会長をしていた新日本建設の役員でした。

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許永中事件その1

許永中事件その2

許永中事件その3

許永中事件その4