その金額は都銀のなかで一番の融資元になりましたがバブル崩壊で「エスポ」は、経営危機に陥ってしまいました。
そのエスポグループに三和は、数十億円の融資を実行するなどして支援したのですが同社の経営はいっそう悪化。
このため、三和はエスポ所有の物件処分を検討し、結局ライト社に売却。
そのとき、ナショナルリースの融資計画をしたのが三和銀行のプロジェクト開発室長でした。
ライト社に土地を売ったことで、三和はエスポから200億以上の債権回収に成功。
この回収額は、ほぼナショナルリースが抱えるエスポ案件の未回収額と同額で、結果だけみれば、三和は情実融資をナショナルリースに付けを回した格好となりました。
ナショナルリースは他の松下グループと同じく、もともとメインバンクは、住友銀行でした。
その住友銀行を最大の競争相手とみる三和銀行は、松下への食い込みを図りたかったのは前回の記事にも書きました。
その突破口が松下製品のリース事業から一般貸付に手を広げたかったナショナルリースでした。
その結果、三和のナショナルリースへの融資残高は92年3月末730億円に達し、住友の約500億円を抜いてメインバンクになりました。
大阪の金融関係者の間では
「三和がナショナルリースで成功していれば、松下のメインバンクの座が入れ替わっていた。住友はイトマンを抱えていてそれどころではなく、ナショナルリースのことは手付かずで、内心三和の攻勢にビビっている」
と噂されていました。
ライト社事件の表面化で、三和の松下取りは挫折し、逆に松下の間で大きなシコリを残す結果となりました。
その当時松下電器社長の突然の交代劇があり、谷井昭雄前社長が相談役になることが決まったのは、93年2月23日の松下電器取締役会でした。
その背景には、91年大阪地検が摘発した東洋信用金庫事件(尾上縫事件)で100%出資の子会社ナショナルリースが架空預金証書で500億円を融資し社員が逮捕されたり、欠陥冷蔵庫問題が発覚。
信用失墜の責任を取らされる形となったのです。
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